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『無境界家族』は家族の物語である。
英国籍の母テッサはオーストラリア国立大学教授。英語圏ではその名を知られた日本研究者だ。
二重国籍の子パトリックは数学の天才。大学教員を経て現在はヘッジファンドにて巨万の富を積む。
日本国籍の父ヒロシは博奕打ち兼「主夫」。この物語の語り手。
英国の大学にテッサが在学中、パトリックが生まれる。幸福な幼年期。ところが小学校に入ると白人の子供たちからのイジメが待っていた。おりしもサッチャー政権の時代。人種差別的政策と軍拡路線のイギリスに嫌気がさす。
「個人に対する国家の重みとか管理とかでは、オーストラリアが一番軽そうね
」というテッサの言葉が決め手になり、一家はオーストラリアに移住する。
オーストラリアでも猛烈に学問の道を突き進むテッサ。アカデミズムの世界でも女性は「同じ条件下にいる男性研究者の三倍分の業績をあげて、はじめてその人と同等に評価される
」という差別構造は存在する。
テッサは毎日のように深夜遅くまで働いた。家事をするのは物理的に不可能である。代わりにヒロシが家事全般すべてを行なった。当然、子育てもヒロシの担当だった。
パトリックは不登校児であったが、抜群の学習能力をもっていた。
ヒロシは8歳の息子に本格的なパーソナル・コンピュータを買い与え、つぎのように宣言する。
「したいことだけをしなさい。やりたくないことはやらなくてもよろしい」(『無境界家族』より引用)
この教育方針のもと、パトリックは15歳で大学に入学し主席総代で卒業。
19歳でケンブリッジ大学大学院に入学。
20歳でカリフォルニア大学バークレー校純粋数学科教員となるが、18ヵ月で退職。
ヘッジファンドに高給をもってスカウトされたのだ。
冒頭にも書いたように家族の物語である。無頼の父による「天才」の息子と「碩学」の妻自慢の書ともいえるだろう。
と同時にこれは恐るべき批判の書でもある。家族の物語の合間に間欠泉のように「日本原理主義者
」たちへの鋭い批判が噴出し、高名な学者・文化人がつぎつぎとなで斬りにされてゆくのだ。
実名を挙げられて批判された人たち。梅棹忠夫(以下敬称略)、梅原猛、江藤淳、河合隼雄、川勝平太、小林秀雄、小林よしのり、佐伯啓思、榊原英資、西尾幹二、西部邁、渡部昇一・・・。誰からの反論も届いていないそうである。
「日本人論」「日本文化論」「日本文明論」を含む、「日本に固有な(精神)文化」の存在を信じている者たちを、わたしは「日本原理主義者」と呼んでいる。「原理主義」とはイスラムに特有なものでも、ヒンズーに特有なものでもなくて、アメリカにも日本にもアフリカにも世界的普遍性を有して存在している(同書より引用)。
「日本国籍所有者という意味以外では、日本人なんてものは、ない」
という主張をわたしは持つ。
そしてもし、日本国籍所有者が日本人であるとするなら、「日本人論」「日本文化論」「日本文明論」は成立し得ない(同書より引用)。
ヒロシは「他の人にどう思われても構わないし、またどうしようもない思われ方をする生き方を選んできた
」人間である。しかし息子パトリックに "混血" のレッテルを貼り付け差別の対象とする者たちと戦うことを一瞬もためらわない。
「日本原理主義者
」たちへの鋭い批判は我が子への愛が生み出したものだった。したがって家族の物語と批判の書であることは矛盾しない。両者は「地下茎で、深く太く断ちがたく連座している
」のだから。
読者の人生を変えるだけの力と毒を持った一冊だと思う。うかつにシビレルとまずいかもしれない。しかし若い人にもすでに「大人」になった人にも、「わたし」が「わたし」らしく生きたいと思っているすべての人に勧めたい。
「わたし」が孤立無援であっても、また「わたし」が他の人と異なる「志」を拳々服膺しようとも、「わたし」は一人前の人間なのだ、と。いや、むしろ、その方が、共同体主義に傾(かぶ)くよりずっとずっと一人前の人間なのだ、と(同書より引用)。
(『無境界家族(ファミリー)』森巣博、集英社、2000、集英社文庫、2002)
(喜八 2003‐06‐25、改訂2005-11-14)
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