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『スローフードな人生!』 島村菜津

スローフード

スローフードとはなんだろうか?

直感的には「ファストフード(fast food)」の反対語ではないかいう答えが浮かぶ。しかし、そう単純なものではないようだ。「簡単で手早い説明を否(いな)むもの、それがスローフードだ」というもってまわった解説もできそうだ。

著者の島村菜津さんも『スローフードな人生!』を出版後「ところで、スローフードって本当はどういうことなの?」という問いを突きつけられ続けているそうである。安直に解答を欲しがるのは現代人の通弊なのかもしれない。

スローフード協会」とはなにか? という問いには具体的に答えることができる。イタリア北部の小さな町ブラを発信地とする「食」を考える運動で、いまも国際本部はブラにおかれている。2003年10月現在、45ヵ国に800の支部があり総会員数7万7870人。日本国内には32の支部と2200人の会員が存在する。まさに堂々たる NGO といえるだろう。

スローフードな人生!』はイタリアのスローフード運動にかかわる人々との交流を中心に展開されるが、運動そのものを紹介しただけの本ではない。本書の中で描かれるのは人と人との出会いであり、人がともに生きる姿である。

本書に登場する人たち。会長カルロ・ペトリーニを始めとするスローフード協会の個性的な面々。バローロ・ワイン復興の中心となったワイン生産者。トレヴィの泉の真向かいに店を構えるパン屋の主人。ロシアの産婦人科医であるベジタリアンの女性。アグリツゥリズモ(農ある田舎の民宿)の人々。南チロル地方のかたつむり料理店の主人。アメリカ人のスローフードライター。元マルクス主義者の詩人にしてスローフード協会の長老・・・。

中でも印象的なのが、ロベルト・ヴェッリレナート・スカルペッリという2人のイタリア男たちである。本書の彼らに関する部分はまさに圧巻というしかない。

ドン・カプラ

ロベルト・ヴェッリ。人は彼を「山羊神父(ドン・カプラ)」と呼ぶ。
人里離れた山の中の「ロッキーノ農場」でアルプス種の山羊の乳から伝統的製法のチーズを生産する。このロッキーノ農場は薬物やアルコール依存症の人たちのリハビリ・センターを兼ねていて、チーズをつくるのも彼らだ。

ドン・カプラは高校卒業後、会計士の資格を取り、父親と同じセメント会社に入社した。3年後22歳で退職して神学校に入学。移民や囚人の問題に取り組む神父たちの運動に深く共鳴し参加する。神学校を卒業後、ミラノの野菜市場で荷運び人夫として働く。その後、少年鑑別所付や大工場付きの司祭を経て、1981年の夏にミラノで知り合った数人の青年たちと現在の農場に移住。大変な苦労を経て7〜8年後から世間に認められ始めた。

ドン・カプラと彼の仲間たち、元ドラッグ常習者だった青年や精神病歴のある中年男などがつくるチーズは有名レストランなどでもきわめて高い評価を受けている。あるスローフード協会員の女性のつぎのような発言に、その事実は端的に表現されている。

「でも不思議ね。元ドラッグ中毒者のリハビリ農場がチーズを作っていること自体は、イタリアじゃそれほど珍しくないわ。でもね、私が不思議に思うのは、どうしてそこそこのチーズじゃなくて、こんなにおいしいチーズなのかってことよ」(『スローフードな人生!』より引用)

レナート・スカルペッリ

レナート・スカルペッリ。トスカーナ郊外で主に鶏やあひるを飼う「ピラート農場」を経営。この農場は「親の虐待や養育義務の放棄、あるいは重病などによって困難な状況に追いやられた八人以下の子供を一時的に預かる施設」でもある。レナートの農場には実子2人・養子1人・里子8人と11人の子供たちがいる(上の子供たちはすでに成人している)。

レナートは小さな NGO「アヴィルダム」の代表でもある。この団体は世界中の青少年の権利を守ることを主旨とし、イスラエルやアルバニア、ロシアなどの恵まれない子供たちに物資を自らの手で直接運ぶことを最低年に一度のノルマにしている。

このレナートは身長2メートル4センチもあり、イタリア人としては例外的といってよいほど背が高い。そして心底口が悪い。著者の島村菜津さんがちょっとご無沙汰しただけでも「ポルカ・プッターナ(豚の娼婦)」という最上級の罵声を浴びせかけてくる。

ロシアの子供たちへ物資を届ける旅に同行したとき、島村菜津さんはレナートから突然驚くべき話を打ち明けられる。彼の出自に関する話だった。トスカーナの農民夫婦の子として育ったレナートはじつはユダヤ人のラビの一家の子として生まれていた。そしてレナート自身も成人するまでその事実を知らなかったのだ。

第二次世界大戦中の1943年、イタリアがドイツに占領されていたころ、レナートの育ての両親はユダヤ人の一家を匿っていた。しかし、それがドイツ軍の秘密警察ゲシュタポの知るところとなり、ラビ一家は逮捕されてしまう。

ゲシュタポが赤ん坊だったレナートを連れ去ろうとしたとき、後に育ての母となった女性が「その子は私が産んだのだ」と言い張った。ゲシュタポも内心は真実を知っていたのだろうけれど、気迫に押されたのかレナートだけを残していった。レナートの実の両親と姉はオーストリアの強制収容所に送られ、帰ることはなかった。

人生!

本書のタイトルは『スローフードな人生!』。最初は「スローフード」のほうに目を引かれた。けれども後になって「人生!」のほうにより大きなウエイトがあることに気づいた。考えてみれば当たり前の話である。あるスローフード協会員のいうように「ともに食べることは、ともに生きることと同義」なのだから。

旅先で興味深い人たちと出会うことのできる島村菜津さんの「人間力」に感服。もっとも本書は一通りの取材から仕立て上げられたようなものではない。食の生産現場に何度も足を運び、ドン・カプラやレナート・スカルペッリといった一癖も二癖もある人物たちと信頼関係を築いた上に成立している。

丹念に時間をかけてつくりあげた名品ワインにも譬(たと)えられるような、上質の酔い心地を読者に味合わせてくれるスローな一冊。


(『スローフードな人生! 』島村菜津、新潮社、2000、新潮文庫、2003)

(喜八 2004-03-14、改訂2007-11-12)


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