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『スロー・イズ・ビューティフル』 辻信一

『スロー・イズ・ビューティフル』辻信一

スロー・イズ・ビューティフル』は名著である。

ただし、ごく表面的になでるだけなら、「スローライフ」「スローフード」「反グローバリゼーション」などの言葉をちりばめた今風の「お洒落な」本という読み方さえできるかもしれない。

多くの企業が自社イメージを高めるため「環境に優しい」ことをむやみに謳う昨今では、スローライフやスローフードという言葉もだいぶありがたみの薄いものになってきたからだ。

スロー・イズ・ビューティフル。Slow is Beautiful.
この「スロー」ということばに、ぼくは現代用語の「エコロジカル(生態系によい)」とか、「サステナブル(永続性のある、持続可能な)」とかの意味をこめています(『スロー・イズ・ビューティフル』より引用)。
ぼくたちの社会は、時代は、自己否定や自己憎悪という呪詛に満ちている。スロー・イズ・ビューティフルは、その呪縛に対抗し、そこから自らを解き放つための、自前のまじないであり、処方箋であり、心構えであり、祈りでもあります(同書より引用)。

辻信一。1952年東京生まれ。15年以上にわたる北米での生活を経て、現在は明治学院大学国際学部教員(文化人類学専攻)としてカナダ先住民の調査をしている。また南米エクアドルのミツユビナマケモノを保護するNGO「ナマケモノ倶楽部」の世話人を務める。

なぜカナダ先住民なのか?
なぜミツユビナマケモノなのか?
という疑問を抱いた。どこか「お洒落」なものを感じて、警戒心を抱いてしまうのである。

けれども辻信一の文章には心ひかれる。『ハーレム・スピークス』新宿書房(1995)、『日系カナダ人』晶文社(1990)、『常世の船を漕ぎて−水俣病私史−』世織書房(1996)、著作をこの順番で読んでみた。

『常世の船を漕ぎて』まできて、ようやく分かってきた。これらの著作は「忘れられた庶民」の人生を掘り起こす一連の叙事詩なのである。辻信一は自らの旅の途中で出会った庶民の姿を記録し続けてきた。

辻信一の旅はスローに歩きながら道草をくうことに喩えられるかもしれない。
道草をくって遊ぶこと。寄り道。逸脱。そして「アンプラギング─接続を引き抜くこと」という概念が紹介される。

主流社会に初めからプラグしていない者たち、そこからアンプラグした者、しつつある者たち。そのイメージとは、例えば、不登校、「落ちこぼれ」、脱サラ、障害者、ヒッピー、地方自治、地域通貨、コミュニティ・ガーデン、脱ダム、脱原発、草の根エネルギー運動や省エネ運動。今も世界に散在する先住諸民族。最後の移動型狩猟採集民族といわれるアマゾンやサラワクの民。そして過去から現在にかけて存在した多くの民族、部族、少数民族。これらはみなそれぞれに、「我らが逸脱」のヒントを与えるイメージの群れだ(同書より引用)。

カナダ先住民やミツユビナマケモノは辻信一にとって、寄り道(逸脱)の途中で知り合った仲間なのだろう。北米大陸で15年の寄り道をした。その途中で先住民たちと遭遇した。南米ではナマケモノと出会った。仲間となった彼ら彼女らに肩入れする。

仲間を助けるための行ないを「お洒落」と批評することはできない。私(喜八)の第一印象はピントが外れたものだった。

「進化主義」という宗教的狂信にとりつかれ驀進する世界、「頑張ること=善」と信じて疑わない社会、これらへの対抗概念としての「スロー・イズ・ビューティフル」と「頑張らない」。「自己否定や自己憎悪という呪詛」から自らを解き放ち生きてゆくこと。

再び言う。『スロー・イズ・ビューティフル』は名著である。

文章のうまい人だと思う。つぎのような一節にはやはり感動させられてしまう。関係ないけれど、女性にも好かれる人なのだろうな。

森を楽しむのには時間がかかる。生きることは時間がかかる。食べて、排泄して、寝て、菜園の世話をして、散歩して、子どもたちと遊んで、セックスをして、眠って、友人と話をして、本を読んで、音楽を楽しんで、掃除をして、仕事をして、後かたづけをして、入浴をして。スロー・フード、スロー・ラブ、スロー・ライフ。近道をしなくてよかった、と思えるような人生を送りたい(同書より引用)。

(『スロー・イズ・ビューティフル』 辻信一、平凡社、2001)

(喜八 2003-05-10、改訂2007-01-19)

参考ページ


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