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『サヨナラ、学校化社会』 上野千鶴子

『サヨナラ、学校化社会』上野千鶴子

上野千鶴子。社会学者。日本における「マルクス主義フェミニスト」の第一人者。きわめて戦闘的な論客であり、凡庸な「知識人」などは木っ端微塵に吹っ飛ばされる。また草の根のネットワークに足を運び続けてきた現場主義者でもある。『女性学年報』を編集して日本の女性学を手弁当で育て上げた一人。

サヨナラ、学校化社会』太郎次郎社(2002)において上野は「学校」を次のように定義する。

  1. 「国民化」の装置。生まれも環境もばらばらな人間を、均質な国民に仕上げる。
  2. 「社会的階層を再生産するための装置」。もともと階層差のある子どもたちをもとの階層に再生産するための、ふるい分けを行なう。

学校化社会」とは学校的価値観が蔓延した社会のことをいう。学校的価値とは、明日のために今日を我慢する「未来志向」と「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」。学校的価値のもとに行なわれる「がんばり競争」は、敗者には不満、勝者には不安、というストレスを与える。

上野は学校化社会を「だれも幸せにしない社会」と断罪する。

本著の中では「がんばる」という言葉が何回か登場するが、ほとんどの場合、ネガティブな意味で使用されている。

学校では公正で平等な競争が行われていて、だれだってがんばれば上にいけるが、がんばらなければ下になる、努力と結果が比例する優勝劣敗の原理が貫徹されていると思われています。だから学校ほど「がんばる」という言葉が多用される場所もないでしょう(『サヨナラ、学校化社会』より引用)。
近代とは、「いま」を大事にしてこなかった時代です。逆にそれを、現在志向とか刹那主義といっておとしめさえしてきた。そして、将来のためにいまを営々と刻苦勉励し、「がんばる」ことを子どもたちにも要求してきました(同書より引用)。

ちなみに上野自身は大変な勉強家である。また学問に対する姿勢の厳しさで知られる。東京大学上野ゼミがハードなことは伝説的だ。しかし、その厳しさに耐え抜いた学生は研究者として、専門分野で国際水準の議論ができるようになるのである。

「学校化社会」を脱するためにはどうしたらよいのか?
上野は次のように提案する。

偏差値の呪縛から自分を開放し、自分が気持ちいいと思えることを自分で探りあてながら、将来のためでなく現在をせいいっぱい楽しく生きる。私からのメッセ−ジはこれにつきるでしょう(同書より引用)。
大事なことは、いま、自分になにがキモチいいかという感覚を鈍らせないことです。それこそが「生きる力」なのですから(同書より引用)。

未来のために今をガマンする生き方」をやめること。「自分が気持ちいいと思えること」を自分自身で探し出し手に入れる能力を身につけること。自分の人生に対する評価は自分でくだすこと。他者によって押し付けられた価値観に拘束されることなく、自分自身の人生を充分に生きること。

本著は「学校化社会」にあって窒息されかけている「この社会で既得権をも」たない人たち(若者および女性、そして多分男性にも)へのエールである。誰にでも容易に理解できるような平明な文章で書かれた、突き抜けた明るさに満ちた一冊。表紙カバーや文中のイラスト(イラ姫)も本の内容に合っていて親しみやすさをより増している。

(『サヨナラ、学校化社会』上野千鶴子、太郎次郎社、2002)

(喜八 2002-11-26、改訂2007-02-02)


参考ページ


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