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2005年10月06日

『梶原一騎伝』

『梶原一騎伝』斉藤貴男、文春文庫

かつて一世を風靡した漫画原作者梶原一騎(1936-1987)の名前は既に忘れ去られて久しいと思っていましたが、それは私(喜八)の勘違いでした。コンビニなどで梶原一騎原作の『巨人の星』(作画:川崎のぼる)や『あしたのジョー』(作画:ちばてつや)の再編集版が発売され、大いに売れているのだそうです。若い人たちが購入しているのか、それとも大人が昔を懐かしんで読み返しているのか? ちょっとだけ興味があります。

『梶原一騎伝』斉藤貴男、文春文庫、2005)はタイトルの通り梶原一騎の破天荒な人生を描いた伝記です。副題に「夕やけを見ていた男」とあります。これは梶原一騎が創作した学園ヒーロー『夕やけ番長』(作画:荘司としお)からきています。『梶原一騎伝』の著者斉藤貴男氏は「あとがき」で「数多くの梶原一騎原作作品の中で、私は『夕やけ番長』こそ梶原氏の原風景だと指摘した」と書かれています。

1958年生まれの斉藤貴男氏と1959年生まれの私は非常に似た漫画・アニメ体験を持っています。梶原一騎の代表作『巨人の星』、『あしたのジョー』、『愛と誠』(作画:ながやす巧)などはおそらく斉藤氏も総てリアルタイムで経験しているのでしょう。これらの作品が雑誌連載、あるいはアニメ放送されているときの読者の熱狂は凄まじいものがありました。個人的にも、誰かが創作した世界にあれだけ没頭した経験はありません。

ただ私は『夕やけ番長』はあまり読んだことがないのです。それは斉藤貴男氏と私の1歳だけの年齢差によるものなのかどうかは分かりません。『夕やけ番長』は連載されていた月刊誌『冒険王』の別冊付録を1冊だけもっていたのを今でも覚えています(それはおそらく祖父母が買ってくれたものでした)。「夕やけ番長」こと中学生主人公赤城忠治が敵側の「番長連合」の1人との対決を前に苦悶するというストーリーだったと記憶しています。

この敵が凄い。その名も鮫川巨鯨。祖父と父は大会社の経営者で「鮫のように冷酷に、鯨のようにスケールが大きく」なることを願って命名されたことになっていました。主人公赤城忠治(夕やけ番長)が子供っぽい顔と体躯の持ち主であるのに比べると、鮫川巨鯨はまるで30代の男盛りのような容貌の不良少年。読者の私は子供心に「そんなのありか~?」と思っていました(笑)。なにはともあれ何十年も前に読んだ鮫川巨鯨の名がいつまでも忘れられません。

ところで梶原一騎の最高傑作として多くの人が名を挙げるのが『あしたのジョー』です。『少年マガジン』1968年1月1日号から1973年5月13日号にかけて連載され、主人公矢吹丈の宿命のライバル力石徹が死んだときは、東京・音羽の講談社(『少年マガジン』の発売元)で実際に葬儀が取り行なわれました。全国から集まった弔問客は約800人であったそうです。漫画登場人物の葬儀がこれだけ盛大に行なわれたのは前代未聞でしょう。

力石徹の死はジョーが放ったテンプル(こめかみ)への一撃が主な原因でした。そのためジョーは試合で相手の顔面を打てなくなってしまいます。それでもボクシングを捨てることができず、ドサ回りのボクサーへと身を落としてゆきます。が、ベネズエラの ”無冠の帝王”カーロス・リベラとの戦いのうちに闘争本能を取り戻し、そして最後の敵である世界バンタム級チャンピオン、ホセ・メンドーサとの死闘へと話は進みます。

『あしたのジョー』は矢吹丈対ホセ・メンドーサの15ラウンドの激闘が終了するとともに大団円を迎えます。コーナーポストの椅子に「まっ白に燃え尽きて」腰掛けるジョー。意識があるのかどうかも分からない彼は微笑を浮かべている・・・。『少年マガジン』連載終了時から現在に至るまで、このラストシーンで矢吹丈は死んだのどうかが問題とされてきました。ジョーは死んだのだという人と、いやジョーは死んでいないという人がいます。前者のほうが優勢かもしれません。

私は「ジョーは死んでいない」と考えます。そもそも創作において主人公をラストで死なせるのは安易ではないでしょうか。総ての人にとって人生は文字通り死ぬまで続きます。都合よく(?)格好いいところで終わるものではありません。数々の死闘を潜り抜けたジョーが年齢を重ね中年太りで格好悪くなって、いまでも生きていると考えるのが私は好きです。

この『梶原一騎伝』で梶原一騎が抱いていたらしい「もうひとつのエンディング」があることを初めて知りました。以下に引用します。

「ジョーはホセに敗れる。うなだれたジョーに、段平が言っていた。『お前は試合には負けたが、ケンカには勝ったんだ』。
  ジョーが、白木邸で葉子と一緒にぼんやりとひなたぼっこしている。彼が廃人になってしまっていたかどうかは定かではない。葉子は微笑(ほほえ)んでいる。二人とも幸せそうだ・・・・・・」

ストーリーを知らない方のために解説を加えますと、「段平」はジョーのボクシングの師匠「丹下段平」。「葉子」はジョーを愛する富豪令嬢「白木葉子」です。「廃人」とあるのは物語終盤でジョーがパンチ・ドランカーであることが強く示唆されているためです。作画担当のちばてつやは上のラストに満足せず、原作者梶原一騎の了解を得て、現在のラストに変更しました。

「ジョーは死んでいない」派の私はちばてつやのラストに勝手に後日談を付け加えました。かつてのボクシング仲間マンモス西と、ジョーに淡い恋心を抱いたこともある紀子が結婚して2人で経営する雑貨屋。ここで働くジョー。ボンヤリしていることが多く間違いも多い。さらには接客態度も悪い。つまり使い物にならない。お荷物のジョーを抱える西と紀子は「しかたない」と諦めているが、小さな雑貨店の経営は楽ではない。ときどき白木葉子が外車(運転手つき)で乗り付けてジョーの様子を見に来る。ある日、葉子は決心を固め無理やりジョーを乗せて連れ去る。走り去る外車を見送るマンモス西と紀子・・・。この後は上で引用した梶原一騎のもうひとつのラスト「ジョーが、白木邸で葉子と一緒にぼんやりとひなたぼっこをしている」につながります。

天才漫画原作者として一代を築いた梶原一騎は後年に至り悪名でもまた有名になってしまいました。飲食店勤務の女性や雑誌編集者への暴力、漫画家やプロレスラーに対する恫喝・脅迫。無数といっていいほど報じられたそれらのスキャンダルがどこまで真実なのかは分かりませんが、実弟の真樹日佐夫氏の証言もありますから、ある程度は事実を含んでいると思われます。女性など弱い人への暴力に関しては同情の余地はありません。

が、梶原作品への評価はどうなのでしょうか? いま読み返しても『あしたのジョー』が飛び切り面白い漫画であるのは間違いありません(実際に数年前に再読してそう感じました)。「作者と作品は別のもの」という考え方に私は反発を覚えることが多いのですが、梶原一騎作品に関してはまだ考えが混乱しています・・・。

最後に。『梶原一騎伝』著者の斉藤貴男さんはこのごろは「サヨク」と呼ばれことが多いそうです。斉藤貴男さんがサヨク? これは明らかに違います。このごろでは権力者を批判する者は全員「サヨク」になったというのであれば話は別ですが、そんなことはないでしょう。マルクスの『資本論』を愛読し資本主義を批判し続けた漫画家の故・青木雄二氏なら完全に「左翼」だといえるでしょうけれど(笑)。

斉藤貴男氏は『夕やけ番長』なのだ、と私は考えています。斉藤氏のすべての主張は極言すれば「卑怯未練なことをするな!」だからです。「自分は生まれがいい、頭がいい、カネがある」と思い上がり、庶民を見下して驕り昂ぶる者たち。彼ら彼女ら「えせエリート連合」に単身立ち向かう正義漢の番長、それが現代の『夕やけ番長』斉藤貴男なのだと思っています。


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投稿者 kihachin : 2005年10月06日 20:30

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1973年-1976年に「週間少年マガジン」に連載された「愛と誠」です。「梶原 [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年01月07日 20:55

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トラックバック時刻: 2006年07月24日 02:41

コメント

一昨日から昨日にかけて、私はTVアニメ「戦国魔神ゴーショーグン」小説版全巻の記事をあげました。
実はこの作品に、ジョーをパロディにしたキャラクターが登場するのです。
敵役で、その名もヤッター・ラ・ケルナグールという容貌魁偉な(ゴリラのような)男なのですが、
「自らの防御を棄ててパワーファイティングでボクシング界で勝ち上がった彼を世界チャンピオンに育て上げがものの、その結果、パンチドランカーにさせてしまった事を悔い、結婚した、ジムオーナーにして世界的ファーストフードチェーンを所有する、日系の女性ビジネスマン、ヨーコ・シラキー」
という美人を奥さんにしているのです!(笑)
勿論、ケルナグール自身は、ジョーとは似てもにつかないのですが、やはり、あのラストで「ジョーは死んでいなかった」としたい、製作者のファン心が感じられます(笑)。

投稿者 とら : 2005年10月06日 21:51

梶原一騎作品の本質は「ウサギ跳び」だと思っています。
アニメの「巨人の星」をはじめ、ウサギ跳びシーンが多く
出てきたような気がする梶原一騎作品・・・ウサギ跳びの
ように、ちょっと時代遅れで、根性主義。野球も、空手も
ボクシングも、そこに出てくるトレーニングは非常に特異で、
たとえば定岡正二元巨人投手などは、多摩川のグランドにバス
で行く二軍選手は全員、バスのなかでつま先立ちだという
伝説を、梶原漫画からの影響(これは巨人の星)から本気で
信じていたそうです。喜八さんに、梶原漫画に登場する様々な
トレーニングが実際に有効かどうか検証していただくと面白いです。

しかし「明日のジョー」はちょっと特別で、初めてコミックスで一気に全巻を読み通した日、それから数日、目が冴えて眠れなくなりました。

投稿者 マーヒー : 2005年10月07日 00:57

とらさん、こんにちは~。
コメントありがとうございます。

> 勿論、ケルナグール自身は、ジョーとは似てもにつかないのですが、やはり、あのラストで「ジョーは死んでいなかった」としたい、製作者のファン心が感じられます(笑)。

そうですか! その設定を書いた人はきっと『あしたのジョー』の熱烈なファンなのでしょうね。一見、おふざけのようでいて、じつのところは熱い思いが秘められている・・・と勝手に想像します。

「主人公が最後に死なない」といえば『がんばれ元気』ですね。これもまた『あしたのジョー』と同じくボクシングを題材にしていますし、強烈な影響を感じさせます。長い物語の最後で主人公「元気」が走りながら祖父母のもとへ帰ってくる姿に感動した記憶があります。主人公が最後に死なないことに不満を覚えたファンも多かったようですが、私はこのラストに非常に満足しました。

おそらく小山ゆう氏も「ジョーは死んでいない」と考える人なのだろうと思っています。
ところで、とらさんはどちらですか?(笑)

投稿者 喜八 : 2005年10月07日 12:12

マーヒーさん、こんにちは!
コメントありがとうございました。

> 梶原一騎作品の本質は「ウサギ跳び」だと思っています。

う~む。これは鋭い指摘です。たしかに昔は「ウサギ跳び」が当たり前に行なわれていましたね。現在はいたって不人気のようですが・・・。
「ウサギ跳びは膝に良くない」という意見を初めて目にしたのは約20年前です。
チャック・ウィルソン氏の『トレーニング・バイブル』という本でした。
日本のスポーツ界から「ウサギ跳び」が駆逐されたのは、おそらくチャック・ウィルソンさんの功績なのでしょう。

> たとえば定岡正二元巨人投手などは、多摩川のグランドにバス
> で行く二軍選手は全員、バスのなかでつま先立ちだという
> 伝説を、梶原漫画からの影響(これは巨人の星)から本気で
> 信じていたそうです。

確かにそういう描写がありましたね!
私も今の今までこれを疑ったことはありませんでした。(^_^;)
冷静に考えれば「そんなわけないだろ」と気づくはずですが(笑)。

> しかし「明日のジョー」はちょっと特別で、初めてコミックスで一気に全巻を読み通した日、それから数日、目が冴えて眠れなくなりました。

『梶原一騎伝』には以下のような箇所があります。

> この作品は、梶原だけのものでも、ちばだけのものでもない。優れた二人の才能が、魂が、人格が、万分の一の確率で、ある一瞬だけスパークしたゆえに生み出された、劇画としてはこれ以上あり得ない条件の下に完成された、理想的な作品だった。

「この作品」は『あしたのジョー』のことです。
「理想的な作品」というのはけっして誇張ではないですね。

投稿者 喜八 : 2005年10月07日 12:12

おっと、私自身の考えを書き損ねていましたね!(笑)
私も、ジョーは死んでいない、と考える一人です。
その後、ジョーがどのような人生を歩んだのか。それはいわば「余生」であるのかもしれない。
そういう意味で、ボクサーとしてのジョーは、あの場で死んだのかもしれませんが、ジョー自身は死んだのではなく、ボクサーとしてほんとうに燃え尽きるまで闘ったのだ、と思うのです。
それというのも、ボクシング以外の人間関係もまた、ジョーの一部であるわけですし、そういう意味では、ボクサーであるジョーというのは、あくまでも彼自身の一部でしかない。
あー、そう考えると「燃え尽きた」のではなく、「燃やし尽くした」と言いたい気がしますね。

投稿者 とら : 2005年10月07日 15:06

とらさん、こんにちは。(^_^)/

> あー、そう考えると「燃え尽きた」のではなく、「燃やし尽くした」と言いたい気がしますね。

そうですね! まさにその通りです!
バブル崩壊後の10年を一般に「失われた10年」というようですが、これは「失った10年」というべきでは? という意見を目にしたことがありますが、その意見と共通したものがあります。

ところで、先日は句会で私の忍者の句を取っていただきまして、ありがとうございました。
おかげで「無点」にならずに助かりました・・・。(^_^;)


投稿者 喜八 : 2005年10月08日 05:32

 トラックバック、ありがとうございます。
数年前に、少年マガジン連載当時のサイズで、
巨人の星とあしたのジョーが合わさった週刊誌
形式の雑誌を講談社が出した際に、順に買って
連載当時の気分に浸ったこともありましたが、
いずれにせよ、梶原氏がいなければ、人生さえ
変わったかもしれない僕らの世代(1950年代半ば
から10年ぐらいの間に生まれた方)も多いはずで。

また、よろしくお願いします。

投稿者 谷川俊規 : 2005年10月08日 07:22

喜八さん、こんちにはー。

私は梶原一騎原作作品は『巨人の星』しか読んでいませんので、私の中で梶原一騎と言えば『巨人の星』、『巨人の星』と言えば梶原一騎、なのですが…。今にして思いますと、ひどく時代錯誤なトレーニング方法とか、その前提としての根性主義が蔓延したものだったなぁと感じます。エンターテイメントとして上質なものであったかとは別論だとは思いますが。

元々、「うさぎ跳び」はトレーニングの一環と言うよりは懲罰的意味合いでさせられることが多かったように思います。懲罰、ではありませんが、無意味に内野手を左右に振る「千本ノック」などもその類でしょうか。そう言えば「大リーグボール養成ギプス」等と言うのもありましたね。

多摩川の二軍練習に関する描写は、デフォルメして描いているところもあるのでしょうが、ちょっとミリタリーな雰囲気も感じたりしました。これは劇画だと言うことを割り引いても時代なのかなぁと思います。

それから、当時はON全盛時代。読売巨人軍の絶対性が喪失されていない時代だったのだな、と強く感じます。巨人軍の絶対性なくして「巨人の星」と言うコンセプトは無かったでしょうから。時代とは移り行くものなのだな、と感じながら読ませて頂きました。

T.D.

投稿者 tropical__dandy : 2005年10月08日 12:35

谷川さん、こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。

> いずれにせよ、梶原氏がいなければ、人生さえ
> 変わったかもしれない僕らの世代(1950年代半ば
> から10年ぐらいの間に生まれた方)も多いはずで。

同感です。私が大学生のころ(80年前後)は『巨人の星』などはギャグの対象になっていましたが、そういう人たちも少年のころは大真面目で感動していたに違いないのですね(笑)。子供のころに心に刷り込まれたことは生涯にわたって影響をもつだろうことは誰にも否定できないと思います。
なんて書いていたら『巨人の星』を読み直したくなってきました!

それでは今後ともよろしくお願いします。

投稿者 喜八 : 2005年10月08日 14:48

tropical__dandy さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

> 私は梶原一騎原作作品は『巨人の星』しか読んでいませんので、私の中で梶原一騎と言えば『巨人の星』、『巨人の星』と言えば梶原一騎、なのですが…。

『巨人の星』と『あしたのジョー』はかなり違っています。
『あしたのジョー』では作画のちばてつやが既に「大家」の雰囲気さえもつ天才漫画家だったため、ストーリーにもちばてつやの意向が大きく入っているのです。上の記事にも書きましたように、ラスト・シーンさえ、ちばてつや案となっています。それが故に作品的には『巨人の星』より『あしたのジョー』のほうがより優れた作品になっていると思います。

> 元々、「うさぎ跳び」はトレーニングの一環と言うよりは懲罰的意味合いでさせられることが多かったように思います。

「懲罰的トレーニング」。私はこれには反対の立場を取っています。運動に限らず、勉強でも懲罰的に漢字の書き取りをやらせたりしますね。本来楽しいものであるべき、スポーツ・トレーニングや勉強を懲罰手段として使うのは、子供を運動・勉強嫌いにさせてしまう負の効果があるのではないでしょうか。とはいえ、「懲罰的トレーニング」でビシビシ鍛えたほうが精神力(根性)がつく、という意見もあるでしょうけれど・・・。

> 巨人軍の絶対性なくして「巨人の星」と言うコンセプトは無かったでしょうから。時代とは移り行くものなのだな、と感じながら読ませて頂きました。

そういえば来年のジャイアンツは原さんが監督ですね。じつは私は35年来の原辰徳ファンであります。なにしろ小学校4年生からですから年季が入っています(ただし、ジャイアンツ・ファンではありません(笑))。これについては近いうちにブログに書くこととします。

投稿者 喜八 : 2005年10月08日 14:50

喜八さん、レスポンス有難うございます。

懲罰的トレーニングには私も反対の立場です。現在のスポーツ教育の現場でどれほど依然として幅を利かせているのか分かりませんが・・・。テニスでは5C(Control、 Concentration、Condition、Confidence、Courage)の内のどれかが欠けけてきた場合、練習効果が上がらないと言われています。自発的モチヴェーションではなく、ムリに何かを強いて効果が上がることはないと言うことだと理解しています。(実際にその通りだと思いますし。)

テニスと言うゲームの性質上、メンタル・タフネスに関してはしつこいくらいにいろいろ言われますが、懲罰トレーニングを課してメンタルを鍛えると言う方向には向かかうことはないと思います。むしろ、精神力を鍛える意味では逆効果のようにも思います。

『あしたのジョー』については何だか読んでみたくなって来ました。時間のあるときに一読してみようかと思います。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年10月08日 15:12

tropical_dandy さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

> 懲罰的トレーニングには私も反対の立場です。現在のスポーツ教育の現場でどれほど依然として幅を利かせているのか分かりませんが・・・。

以前よりは減っているようですが、まだまだ残っているという印象はあります。また、現実問題として懲罰的トレーニングを実施したほうが「効果が上がってしまう」という面はあるのでしょう。親のほうも懲罰的トレーニングを望むという場合もあるかもしれませんね。

また軍隊などは懲罰的トレーニングとの相性がよい組織なのではないかと思います(軍隊に入ったことがないので印象を述べているに過ぎませんが)。

> 自発的モチヴェーションではなく、ムリに何かを強いて効果が上がることはないと言うことだと理解しています。(実際にその通りだと思いますし。)

この点はどうでしょうか? 「ムリに何かを強いて効果が上がることは」あると思います。スポーツでも勉強でも無理やりに子供にやらせることにより、学力や技術の向上が認められる場合は結構多い、というのが実際のところではないでしょうか。ただし、私自身はそういうやり方が「いい」とはけっして思えないのですが・・・。

ジュニアのスポーツ指導を行なう人の中には「口汚くののしること」を指導の手法としている例も少なくないですね。
プロ野球・読売ジャイアンツの桑田真澄投手は子供のころから、あれが嫌で嫌でたまらなかったそうです。そのため、現在、自分がジュニアを指導する際は絶対に口汚くののしることをしないそうです。

「いいぞ! 桑田!」と声をかけたくなりました(笑)。

投稿者 喜八 : 2005年10月11日 12:18

喜八さん、こんばんは。

うーん、これは難しいところですね。テニスの例を出したのは、テニスと言うのは基本的に団体スポーツではなくて、特にシングルスの場合などは、技術もさることながらメンタリティ(精神力、と言ってもいいのでしょうか)がとても大切なスポーツだと言う認識があったからなのですが…。

ジミー・コナーズが激しい練習を終えた後、コートにへたりんでしまったことがありました。その後、コナーズが、直後「It's my job, and it's my joy」と言った映像を、今でも私は忘れられません。コナーズ全盛の時代ですから、今から20年くらいは前の話です。

勿論、「懲罰的トレーニング」がスポーツ生理学的に効果的かもしれない、ということと、それが「よきことであるか」ということは別物でしょうし、トレーニングを受ける側のパーソナリティにも依存することでしょうから、一概に「懲罰トレーニングは悪」と断言はできないのだとは思います。(私は、好みませんが。)

軍隊の場合は、私が知る軍隊(外目に見ただけですが)はイスラエルのそれですが、常に内戦、テロが頻発している国にあって、形だけの「しごき」は殆ど意味が無いことはアウトサイダーの私にもよく分かりました。問題は実効的に機能できるように組織できるかどうか、だとも思いました。

教育なり訓練と言うものは、施し手側と受け手側の関係性にも拠りますし、「これが正解」ということはないのでしょう。一見無意味に思える懲罰にも意味があるのかもしれません。私が預っている素材は、既にモチヴェーションが高い面々なので、「懲罰」を課す必要がないだけかもしれませんし…。

要は、懲罰トレーニングが効果がある側面もあるのかもしれないとは思いますが、私はそれは好まないと言うことで、喜八さんの仰ることと、結論は同じになると思います。長々失礼しました…。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年10月14日 00:53

tropical_dandy さん、こんにちは~。
コメントありがとうございます。

テニスは私も長年やっています(いっこうに上手くならないヘボですが・・・)。
何年か前から友人たちの子供たちも時々参加するようになりました。そのときの子供に対する「指導」振りにも各人の個性がでるので、面白いと感じています。
「正しいフォーム」の形成に拘り細かく注意する人。
細かいことは後回しにして「楽しむ」ことを優先させる人。
「懲罰的トレーニング」も登場しました。ミスをするとコートの周りを3周とか腕立て伏せを20回とか・・・。
tropical_dandy さんも指摘されているように、どれが正しいということはできませんが、私の好みは「楽しむ」優先です(エキュピリアンですので(笑))。

> 私が預っている素材は、既にモチヴェーションが高い面々なので、「懲罰」を課す必要がないだけかもしれませんし…。

自分の夢を叶えられないのが最大の「懲罰」ですからね。でも人間は弱いものですから、なんらかの「強制」がないと高いパフォーマンスは達成しにくいのかもしれません。そのためにも「学校」や「会社」があるのだと思っています。

ただし個人的には「たった1人でも世界中を相手に戦うことができる」人間を理想としています。浪漫主義者なのかもしれません・・・。

投稿者 喜八 : 2005年10月15日 13:29