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2005年10月23日

『優しい経済学』

”小泉改革” や ”郵政民営化” を考えるためにボチボチと読書を続けています。そのうちの一冊に非常に分かりやすい例えがあったので引用します。題して「コップ一杯の水」。

  市場原理の下では、ここにコップ一杯の水があるとすれば、一番高い値段を付けた人に売るのが「効率的」だと判断されます。人々のモノやサービスに対する必要や欲求の強さはすべて貨幣の単位で表現され、高い価格をつける人ほどその必要や欲求は高いとみなされるからです。のどが渇いて死にそうだけれどコップ一杯の水に対しては一〇円しか払えないという貧しい人よりも、二日酔いで頭が痛いので一〇〇〇円払ってもよいという金持ちのほうが市場では優先されるのです。こうした市場の原理を公共サービスの分野にまで可能なかぎり拡大しようとしているのが、「構造改革」の名の下で進められている民営化にほかなりません。

上は『優しい経済学』高橋伸彰(たかはし・のぶあき)、ちくま新書(2003)からの引用でした。
のどが渇いて死にそうだけれどコップ一杯の水に対しては一〇円しか払えないという貧しい人よりも、二日酔いで頭が痛いので一〇〇〇円払ってもよいという金持ちのほうが市場では優先されるのです」の部分に強い説得力を感じました。

著者の高橋伸彰氏は1953年北海道生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済研究センター、通産省企画室主任研究官、米国ブルッキングス研究所客員研究員を経て、現在は立命館大学国際関係学部教授。専攻は日本経済論・経済政策。

『優しい経済学』以外の著著には『設備投資と日本経済』共著、東洋経済新報社(1984) 、『数字に問う日本の豊かさ』中公新書(1996)、『少子高齢化の死角』ミネルヴァ書房(2005)などがあります。岩波書店発行の月刊誌『世界』2004年12月号に論文「『郵政民営化』への尽きない疑問」を発表されてもいます。また以下のウェブページでも高橋教授の意見を読むことができます。

どうやら高橋伸彰教授は ”小泉改革” に「ノー」を言うだけの勇気をもった数少ない経済学者・エコノミストの1人のようです。エコノミストの森永卓郎さんによると、いまでは政府の政策を正面から批判できるような評論家は「絶滅危惧種」と言わねばならぬほどの少数派なのだそうです(→「挙国一致体制となったニッポン」)。


投稿者 kihachin : 2005年10月23日 17:25

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コメント

な、なんと!
木村剛さんのブログ「週刊!木村剛(ゴーログ)」で、この記事を取り上げていただきました。

木村さん、ありがとうございます。
数日中に再返信の記事をアップしたいと思います。
その際はまたトラックバックを送らせていただきます。

投稿者 喜八 : 2005年10月24日 12:33

気に障るようなことを書きますが、この文章、ちょっと変じゃないですか? 高橋伸彰さんの本を読んではいまないので以下の文章がどういう文脈ででてくるのかわかりませんが

>のどが渇いて死にそうだけれどコップ一杯の水に対しては一〇円しか払えないという貧しい人よりも、二日酔いで頭が痛いので一〇〇〇円払ってもよいという金持ちのほうが市場では優先される

のは市場原理のあくまでモデルであって、これを「現実の経済政策に応用されるべきだ」などといってるデンパな市場原理主義経済学者は圧倒的少数派でしょう、皆無かも知れません(レーガン政権時代のアメリカにはいたかも知れませんが)。現在の経済学者の少なくても半数は反・小泉構造改革のリフレ派や財政出動派じゃないでしょうか? 竹中・構造改革派ってのは経済学でも異端ですよ。アメリカ共和党で保守本流とは大きくかけ離れた異端のイデオロギー集団であるネオコンが権力中枢を乗っ取ったのと似たようなもんです。モリタクさんはあくまで、反小泉的な発言ができなくなった状況を批判してるのであって、こういう書き方では、経済学自体が弱者無視の偏った学問だと思われてしまいます。

投稿者 Anonymous : 2005年10月24日 20:16

Anonymous さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

> 現在の経済学者の少なくても半数は反・小泉構造改革のリフレ派や財政出動派じゃないでしょうか?

そうですね。数の上ではその通りかと思います。
が、最近ではその人たちの意見が表面に上がって来ません。
それはマスメディアが取り上げないということもあるのでしょうし、本人たちが積極的に声を上げないという両面があるように思います。

> 竹中・構造改革派ってのは経済学でも異端ですよ。

アカデミズムの場ではそうなのでしょうか(詳しくは分かりませんが)。
けれども現実の世界では「竹中・構造改革派」は強大な力を持っています。

> モリタクさんはあくまで、反小泉的な発言ができなくなった状況を批判してるのであって、こういう書き方では、経済学自体が弱者無視の偏った学問だと思われてしまいます。

たしかに森永卓郎さんはブログ記事の中で「評論家」と書かれていますね。「その結果、これまで政府を批判してきた多くの評論家が転向してしまったのだ。評論家は権力を批判するのが仕事なのに、その仕事を放棄したのだ」というように。この「評論家」の中に「経済学者」が入っているのかどうかは不明ですが、植草一秀氏も含まれているようですから、学者も入れての包括的な表現とみていいのではないでしょうか。

投稿者 喜八 : 2005年10月24日 20:40

 木村さんの「優しい経済学」の一文に対する批判はある意味で欺瞞としか思えません。そもそも、経済学における市場とは、価格という最小の情報だけを利用して資源配分の効率化を実現することに最大のメリットがあるのではないでしょうか。そのことは、ハイエクも指摘していることです。そもそも、市場でモノやサービスを売る人が、自分の売るモノやサービスを買う人がどんな理由で買うかを、いちいち聞くでしょうか?そもそも、木村さんは自分のところの客が、なぜ自分のサービスを必要としているのかを聞いて情報を売っているのですか?そして、カネは払えないけど、情報がなければ死んでしまうかもしれないという人がいたら、人の道でタダで情報を提供するのですか?そうではなくて、カネさえ払えば、どんな人にでも情報を売っているわけでしょ?私は木村さんの商売を批判しているのではありません。要するに、市場とは価格だけを見て、より高い価格を付ける人にモノやサービスを売るという「場」にすぎないということを言っておきたいのです。だから、のどが渇いて死にそうかどうか、単なる二日酔いかどうかといった買う人の理由は、市場では問われないのです。その結果、10円しか払えない人は、たとえその人がどんなに水を必要としていても、1000円払える人に負けてしまうのです。それが市場の論理であり、だからこそ市場は市場として機能しているのではないでしょうか。しかし、それでは、本当に困っている人は救われない可能性があるということを私は言いたかっただけです。売る人に「人の道」なんか求めていません。それよりも、社会参加から排除される人を救う制度をきちんと整備するのが政府の役割ではないかと問うているのです。人の道があれば、社会保障はいらないと言うのですか?家族でさえ自分の家族の面倒をみれなくなったから社会保障制度ができたのではないですか?市場を擁護するなら、一貫して市場の論理で市場を擁護すべきであり、市場の論理ではない「人の道」を持ち出して市場を側面から擁護するのは、欺瞞であり詭弁でもあります。それは、儲からない郵便局も国民の資産だから残るように税金で補助すると言いながら、今回の郵政関連法案を「民営化」だと言っているのと同じです。株式会社になれば民営化というのは明らかに欺瞞です。全国あっちこっちで破綻している第三セクターは全部株式会社ですが、あれは民営化だったんでしょうか?木村さんほどの人なら、もっとまともに議論してほしいと思います。
 加えて、立命館大学が国から私学助成金と言う補助金をもらっているので、それを10円しか払えない人に回せと「優しい経済学」の著者に迫るのは、「優しい経済学」の議論とはまったく関係のない話です。そもそも、立命の学生は一人あたり年間14万円弱の補助を受けていますが、国立ではなく独立行政法人となった東京大学の学生は、いまだに学生一人当り500万円近くの補助を国から受けています。そうした補助は、単に東大の学生の偏差値が立命の学生よりも高いから当然だと言うのですか?だったら、立命館よりも偏差値の低い独立行政法人の国立大学の学生が平均して学生一人あたり150万円近くの補助を受けていることをどのように説明するのですか?それに立命館大学の一教員にすぎない著者に、補助金を受けるくらいならのどが渇いた人にカネを回せと言うのは、トヨタの一労働者に1兆円も儲けているなら自動車の価格を下げろ!と言うのと同じことです。著者は学校法人の経営者ではありません。一雇用者にすぎないのです。その雇用者に対して、そのような経営にかかわる議論をぶつけるのは、まさに言いがかりです。
 コメントの冒頭で、扇情的などという感情的な表現から始めるような木村さんこそ、扇情的ではないでしょうか。木村さんほどの有名人の言動は影響力が大きいだけに、もっと慎重にものごとを考えてご発言いただきたいと思います。最低限、市場とは何かくらいのこと、そして私学助成金云々の話は単なる著者に対する誹謗中傷の類にすぎないことを自覚していただきたいと思います。著者が東大の教員だったら、そんなことは言えなかったでしょう。著者が私学の教員だったから、そんな関係のないことを言ったのでしょうが、その態度こそが「差別」的だということがわかりませんか?
 改めて申し上げるまでもなく、私は「優しい経済学」の著者の高橋伸彰です。

投稿者 N.Takahashi : 2005年10月25日 23:28

市場経済の下では、売り手は権力者などに安売りを強要されることはありません。また、買い手もカルテルなど不当に吊り上げられた価格を強制されることもありません。需要と供給(正確には需要曲線と供給曲線)に基づいた適正な市場価格で取引が行われます。
実際に市場原理が機能するには、様々な条件が必要ですが、公正で自由な競争が行われていれば市場経済は公正なシステムです。市場における交換によって、他者の効用を損なわない限りだれも自己の効用を高められない状態を達成できます。つまり、完全競争市場では、他者の効用を犠牲にして自己の効用を高めるという
ことは起こりません。ただし、ここには初期保有の不平等が市場原理によっては是正されないという含意もあります。
市場原理による資源配分を否定するのではなく、市場経済化を徹底して経済資源の配分を効率化するとともに、初期保有の不均衡を絶えず是正するため、政府による所得の再配分を適切に行っていくのが、真に優しい経済だと信じています。

投稿者 びんごばんご : 2005年10月26日 00:32

はじめまして。ゴーログから飛んできて、関連する記事をTBさせていただいたのですが、手違いで複数TBをうってしまいました。
お手数ですが、重複分を削除していただければ幸いです。

投稿者 47th : 2005年10月26日 01:23

高橋先生、はじめまして。
今回は私が不器用な引用をしたため、ご迷惑をおかけしてしまいまして大変に失礼いたしました。お詫びを申し上げます。
後刻、正式な返信をいたします。取り急ぎお詫びまで・・・。

投稿者 喜八 : 2005年10月26日 05:41

びんごばんごさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

たしかに「完全競争市場」が達成されれば、びんごばんごさんのおっしゃりますように「需要と供給(正確には需要曲線と供給曲線)に基づいた適正な市場価格で取引が行われ」るのかもしれません。
が、いままで(ある程度以上の規模の)市場が「完全競争市場」となったことがあるのでしょうか? また、将来達成されるのでしょうか? 私はいささか疑問に思うのです。というのは人間はそれほど合理的な存在ではないと思うからです。ペシミスティックな見方なのかもしれませんが・・・。

投稿者 喜八 : 2005年10月26日 05:46

47th さん、はじめまして。
トラックバックありがとうございました。
重複分は削除しておきました。
私も同じことをやってしまうことが多いのです。(^_^;)

投稿者 喜八 : 2005年10月26日 05:47

喜八さん、こんにちは。一応経済学部出身ですが、ケインジアンなもんで最近のトレンドには・・・(汗)
ところで関連する記事には一通り目を通しましたが、かなりムカッと来ています。ここで書くと喜八さんに迷惑がかかりそうなので(笑)、自分のところに書いてトラバします。

投稿者 非国際人 : 2005年10月26日 06:43

再び「優しい経済学」の著者の高橋です。
喜八さんには良い問題提起をしていただいたと感謝しています。私個人は、一切迷惑など受けていません。木村さんの議論も、木村さんの本質が明らかになったことで意味があったと思います。むしろ、喜八さんには拙論のようなマイナーな議論にお目を通していただいたことに感謝しております。また、非国際人さんのご意見と、ご姿勢(無用な混乱を避けるために、あえてご自分のブログで意見を表明されるというお考え)には敬服申し上げました。これ以上の混乱は避けたいと思います。私の考えは一人の教員として、著作や論文を通して、今後とも問うていきたいと考えておりますので、もし、機会がございましたらお読みいただければ幸いです。大変、お世話になりました。

投稿者 N.Takahashi : 2005年10月26日 08:54

非国際人さん、こんにちは。
コメント&トラックバックありがとうございます。
じつは私も経済学科の出身です。

木村剛さんに関しては個人的には「敵」とは考えていません。
たまたま現在はそれぞれ対立する陣営にいるというだけで(笑)。
木村さんはご自分のことを「制度派に近い」と何度かおっしゃっていますし、何でもかんでもアメリカ追従はやめて「ニッポン・スタンダード」を確立しよういう信念の持ち主でもあります。
「ゴーログ」にしてもビジネスの範疇を超えて力を入れて運営されているようですので「話せば分かる」「言論人」だと思っています。

非国際人さんのブログにはまた夜になってから訪問します~(ん? そちらでは夜ではないですね?(笑))。

投稿者 喜八 : 2005年10月26日 10:36

高橋先生、こんにちは。
このたびは私の不手際な引用が元で騒ぎになってしまい、失礼いたしました。

先生の「コップ一杯の水」を読んだとき、私自身が大変に感銘を受けましたし、「経済のことはよく分からない、という方たちにも読んでもらえそうだ」と考えたのです。それでブログ記事とさせていただきました。

木村剛さんのブログにトラックバックを送ったのは「木村さん、興味深い本がありますよ。お読みになりましたか?」というような軽い気持ちからです。また以前より木村さんの言論活動に敬意を覚えていたことも理由のひとつです。「敵対的トラックバック」というわけではありません。

もともとは「コップ一杯の水」の部分だけでなく、他の文章も引用させていただこうと思っていたのですが、それではブログの読者に負担をかけることになり、結局読んでもらえなくなると判断しました。結果からいうと、これは間違った判断だったかもしれません。

木村さんの記事に触発されてブログ記事を書かれた人の多くが、私の引用した「コップ一杯の水」のみを批評の対象にしており、『優しい経済学』を読んだという人は少ないようなのです。これは正直なところ「想定外」の事態でした。とはいえ、忙しいであろう方たちに「本を1冊全部読んでから論評してください」とは要求することはできません。

そう考えると、引用者の私の責任は大きいのです。私の引用の仕方いかんで高橋先生の『優しい経済学』が誤解されるとしたら・・・、大変に恐ろしいことです。また、あくまで「仮に」の話ですが、もし私が引用の際にうっかりして文意を逆にしてしまうような致命的ミスを犯したとしたら。先生の本来の主張とはまったく違う(誤った)意見が WEB の世界で一人歩きしてしまうという可能性もなくはないのです。インターネットの怖さ、文章を公開することの怖さを改めて実感しました。

高橋先生の著述は今後も積極的に読ませていたくつもりです。
学部学科の後輩(たまたまそうなのです)として、今後も応援します!

投稿者 喜八 : 2005年10月26日 10:38

喜八さま。
みなさま大変大人の対応をされていて、自分の軽薄さに恥じいってしまいました。もしご迷惑をおかけしたようでしたらお詫び申し上げます。
木村さんが制度派に近い考えをお持ちの方とは存じ上げませんでした。そう考えると、人には言葉尻だけではわからない、いろいろな思いがあるのだな~と、しみじみと感じます。
ただ私が思うのは、たとえ情緒的でも、素人の妄言であってもいいから、自由闊達に経済を論ずる雰囲気が欲しいですね。非常に多くの人がマクロ経済学を学んでいるはずなのに、社会に出てから全く使うことはないですから。
そういう場としてブログをもっと活用していきたいです。

投稿者 非国際人 : 2005年10月26日 21:32

非国際人さん、こんにちは。
私の場合は「大人の対応」とはとんでもありません。
いい年齢をして幼稚な男ですから(汗)。
高橋さんと木村さんのあいだのことはお2人が直接話し合って「カタをつける」のが一番だと思っております。

> ただ私が思うのは、たとえ情緒的でも、素人の妄言であってもいいから、自由闊達に経済を論ずる雰囲気が欲しいですね。非常に多くの人がマクロ経済学を学んでいるはずなのに、社会に出てから全く使うことはないですから。
> そういう場としてブログをもっと活用していきたいです。

まったく同感です!
このごろになってようやく気づいたのですが(ニブイ)、
「新聞やテレビの経済ニュースはまったく分からない」
という方が少なくないのですね。
さらにはメディアの経済報道は偏っていたり、完全な間違いがあることも少なくありません。
そこで某大臣の経済入門書を読むと、さらに偏っていたりします(笑)。
気軽に経済のことを語り合うにはブログは最適のツールだと私も思います。

投稿者 喜八 : 2005年10月27日 05:35

喜八さん、こんばんは。
私は某神道学科と調理師学校の出身(笑)なので経済学に関してはズブの素人の為、専門的なコメントは出来ません。が、いつも喜八さんや非国際人さんのブログで日々勉強をさせていただいております。

>「新聞やテレビの経済ニュースはまったく分からない」
という方が少なくないのですね。
さらにはメディアの経済報道は偏っていたり、完全な間違いがあることも少なくありません。
そこで某大臣の経済入門書を読むと、さらに偏っていたりします(笑)。

素人感覚で申し訳ないのですが、やはり専門的な経済書を読むことは難しいのです。
私は喜八さんや非国際人さんを始めとするブロガーの方々の記事やそういったところで紹介されていた読み易そうな本を選んで色々な事柄を理解したいと努力をしています。
ですからこれからも分かり易く経済の解説や良さ気な本がありましたら紹介してください。(ただの甘えですが・・・)
それと今回の一件を傍観していました。色々な方の意見がこういったところで交換できるということは素晴らしいなと改めて感じました。やはり自由に議論が出来るって良いことですね。
長々とあまり意味の無い文章で申し訳ありませんでした。
これからもよろしくお願いします。

投稿者 田舎の神主 : 2005年10月28日 01:42

田舎の神主さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

> 私は某神道学科と調理師学校の出身(笑)なので

それは素晴らしい学歴ですね。素直にそう思います。私のほうは政経学部経済学科ですので、人間的な面白みに欠けるようです(学歴のせいではなくて「もともと」という気もしますが・・・)。

> 素人感覚で申し訳ないのですが、やはり専門的な経済書を読むことは難しいのです。

経済(学)は「正義」が成立しにくい分野です。そのため余計に分かりにくい印象になっていると思います。また、実際に「カネがかかっている」わけですから、新聞・雑誌・テレビで意見を述べているエコノミストたちの多くは自分にとって都合のいいことを言います(書きます)。

さらには数年経つとまったく逆のことを言い出すエコノミストも少なくありません。先行する自分の発言への反省も何もなしに、いきなり正反対の主張をするのです。かなりの ”大物エコノミスト” でもこういうことをする人がいます(この点に関しては『エコノミストは信用できるか』東谷暁、文春新書、2003を参照ください)。

だから一般に報道されている経済情報を頭から信じるのは大変に危険なことなのです。「こいつら自分がトクするためにこんなことを言っているのかもしれないな」と疑う姿勢が大切です。常に「眉につばをつけている」ほうがいいのです。流行の言葉で言えば「メディア・リテラシー」ですね(笑)。

> 色々な方の意見がこういったところで交換できるということは素晴らしいなと改めて感じました。やはり自由に議論が出来るって良いことですね。

本当にそう思います。今回の件では私自身かなり驚きましたし、インターネットの怖さを再確認しました。と、同時に「自由に議論が出来る」という部分でインターネットの大きな可能性も実感することができました。

こちらこそ今後もよろしくお願いします。

投稿者 喜八 : 2005年10月28日 15:07

はじめまして。『晴耕雨読』さんへのTBからやってまいりました。
とても面白いエントリです。有名な方の直接のコメントも会ったりして、これぞネットの真髄、という感じでした。
> ただ私が思うのは、たとえ情緒的でも、素人の妄言であってもいいから、自由闊達に経済を論ずる雰囲気が欲しいですね。非常に多くの人がマクロ経済学を学んでいるはずなのに、社会に出てから全く使うことはないですから。
> そういう場としてブログをもっと活用していきたいです。
には、同感。私自身は経済学を正式に学んだことはありませんが、経済は日々の生活で否応なしにかかわらざるを得ないことですからね。

投稿者 愚樵 : 2006年04月02日 07:14

愚樵さん、はじめまして。
ご訪問ありがとうございます。

経済学は分かりにくいですからね。(^_^;)
「古典派対ケインズ」という図式で見るのが、一番分かりやすいかもしれません。
いまの日本・アメリカの経済学者は「古典派(あるいは新古典派)」が主流のようです。
古典派のドグマ(教義)は「レッセ・フェール(自由放任)」です。
つまり「政府は市場に介入するな」
これが是か非かということですね・・・。

投稿者 喜八 : 2006年04月02日 09:02