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2005年11月13日

ブログ・ハザード

人気ブログ「週間!木村剛」でまた幣記事を引用していただきました。前回は真っ向からの批判的引用でしたが、今回はどうやら肯定的引用であるようです(笑)。

木村剛さん、ありがとうございます。

”小泉・竹中改革” 批判派の私の記事を取り上げてくれるとは、さすが木村剛さんは懐(ふところ)が深い。・・・などと書くといかにも「皮肉」のように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではありません。私も老獪な(?)中年男ですから、ときには大真面目な顔で皮肉をいうことはあります。でも今回は違います。

以前、木村さんが他の有名ブロガーさんたちと論争をされていた際、「木村剛氏は、話せばわかる、言論人である」という印象を受けました。そもそも木村さんのご本は以前から愛読させていただいています。そのため私も敬意をもってトラックバックを撃たせていただいております。

ところで上記の木村さんの記事の中で紹介されている「Pure.com」さんの記事中に「エアロバキバキ」という言葉がありました。今回初めて目にする表現です。そこで「Google」で調べてみると・・・(以下は検索結果です)。

なんとも恐ろしい・・・(大汗)。

細かい説明ははぶきます(お知りになりたい方は上の検索結果を当たってください)。一般論でいうと、自分のブログに書いたことが祟(たた)って、インターネット上で総攻撃を受けてしまう人が続出しているようなのです。姓名・住所・勤務先などを公開され実生活において大損害をこうむるケースも少なくないそうです。

思わず私も自分のブログ記事を総点検してしまいました。どちらかというと慎重に運営してきたという自負はあります。が、コメント欄ではつい筆がすべってしまっている箇所もありました。コメントのやり取りはつい「1対1」であるような錯覚をしてしまうためでしょう。実際には誰もが閲覧・検索できる場所なのですから、きわめてパブリックな性格を持っているのです。以後、気をつけねば!

他者を批判するときは人格攻撃や誹謗中傷にならないように注意する。批判する相手にも「礼」をもって対する。信憑性の明らかでない怪文書の類を基にしない。これらはけっして「奇麗事」などではありません。自分自身の身を守るためにも絶対的に必要な心構えでしょう。

またブログはどんどん記事が増えていきますから、セキュリティ・レベルもどんどん低下していく傾向があります。他所様のブログを見ていると失礼ながら「大丈夫かなあ?」と思わされることもしばしばです(他の方が「喜八ログ」を見ると同じ感想を抱かれるのでしょう)。プライベート情報の開示が積もり積もってゆくと「何処に住んでいる誰」の解析が可能になる場合は相当数あると思います・・・。

ブロガーの皆さん、お互いにブログ・ハザード(ブログが原因で発生する厄災)に遭わないよう気をつけましょう!
インターネットの世界は基本的には自己責任で身を守らなければならないジャングルですから!


投稿者 kihachin : 2005年11月13日 16:05

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いろいろな人がブログを-今、この瞬間にも-書いています。スウェーデンの93歳、A [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年11月17日 00:01

コメント

こんにちは。
エアロバキバキは知りませんでしたけど、最近、某雑誌編集者の方がブログで腹いせにある人物の写真と名前を公表して閉鎖だったかありましたね。

まあ確かに日常生活でカッとなったりムッとなったりしたことを、ブログに全部ぶちまけたいと思うことはしばしばありますけど(私なんて客商売ばかりですから)
私の勤務先とか特定できたり、それによって嫌な思いをしたりさせたりすることは絶対に嫌なので避けてます。今のところ。

しかし、ブログってのは秘密を書きやすいツールなのかもしれませんね。
私的なことは絶対書かないではネタがなくなりますしね。
難しいところです。

投稿者 ハル : 2005年11月14日 09:18

ハルさん、こんにちは~。
コメントありがとうございます。

> まあ確かに日常生活でカッとなったりムッとなったりしたことを、ブログに全部ぶちまけたいと思うことはしばしばありますけど(私なんて客商売ばかりですから)

じつをいうと、そう思うことは私も結構あります。それでお酒を飲んだときはインターネットへの書き込みは控えるようにしています。酔っているときはつい筆が滑りがちですし、いったん書き込んでしまったら、後悔しても元へは戻らないことが多いですから・・・。

> 私的なことは絶対書かないではネタがなくなりますしね。

プライベートなことをほとんど(一切)書かない方もたまにいますね。映画や本の感想だけを書くとか。それでもコメント欄では結構私的なことを書いてしまうことが多いようです。私はあまり日常的なことを書きませんが、これはセキュリティのためというより「自分の退屈な日常を書いても意味がない」という意識が働いているのだと思います(汗)。

投稿者 喜八 : 2005年11月14日 15:15

喜八さん、こんにちは。

確かに、慎重に慎重を期しても「ブログ執筆者の属性」は相当程度明らかになってしまうでしょうし、「ブログ以前」のネット社会でもこれに類する現象(「2ちゃんねる」における「祭り」のような)は発生していたと思います。現在も、テクノラティの検索ワードの上位には「祭り」化しているキーワードが頻出します。これが日本におけるブログの一つの現象であることは、残念ながら確かだと思われます。

一方で、ネット先進国と言われるUS、韓国などではいわゆる有名人、公人ではない一般の人が堂々と実名でBlog等を開設していますが、日本における「祭り」のような現象は比較論の上では少ないと思われます。ただ、私は「Blog」と「ブログ」は違うものだと思うようになってきまして、「Baseball」と「野球」が異なるように、それはそれで構わないのだと思っています。結局のところ、何かが輸入されればローカライズされて受容されるもので、それが日本の現状であれば致し方ないことですし。(ちょっと佐藤優さんの「日本における社会民主主義」論と似ていますが。)

私にとってブログは単なる趣味ですから、私と私が守りたいと考えている物に関しては類が及ぶことのないように多少は留意している積りですが、自己の情報を不特定多数が閲覧できる状態に置いている以上、リスクは不可避です。また、ある人物(法人)に対する記述を行う場合、それが事実に基づく客観性を担保した抑制的な文章であっても、名誉毀損で訴えられるリスクは存在します。喜八さんの言われる通りと思います。

ただ、私はブログブームは近い内に終焉するんだろうなぁとこの頃思っていまして、それこそWeb2.0の世界では、ネットがシームレスな社会インフラとなって、ネット社会の中のclosedな価値基準が社会一般の基準に合わせれて、多くのメディアまたはパーソナリティがネット社会に参入するようになって、それこそ市井の一個人である私の備忘録などは読者価値がなくなるでしょうから・・・。

結局のところ、日本社会でネットがいかなる社会的影響を持つのか、持つようになるのか、と言う議論に結びつく話だとも思います。長くなり過ぎて何が言いたいのか分からなくなってしまいましたね(苦笑)。いつものこととお赦し下さい。ただ、いろいろと考えさせられました。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年11月14日 17:15

tropical dandyさんに逆らうようなのですが……(^^;
実は、韓国では恒常的に「まつり」が行われているかもしれません。
今月発売された「韓国人につけるクスリ」という本に、その実例が載っているだけでなく、著者自身が実際にその被害にあい、本のベースとなったブログが閉鎖されてしまいました。
また、今年の春でしたか、韓国人によって出された「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」も韓国内で批判をあび、著者である韓国人タレントチョ・ヨンナム氏がネット中心にまつられてしまい、仕事の契約を失って干される、というような事が起きています。
日本がからむと、「反日」でことさら騒ぐようでもありますが、「韓国人につけるクスリ」でとりあげられているケースは、いずれも韓国人の中での事件なので、反日のものばかりがまつられるというわけでもない様子。
同様の事例は、在韓の人のブログでは、他にも時々、お目にかかります。

本来なら具体的にURLをあげるべきですが、マジで、この手のものは、下手に紹介しただけでも「どこから言いがかりをつけられたり、経路をたどられたりして、誰が被害にあうかわからない」ため、書きません。
「韓国人が気に入らない事を書いた」(竹島問題とか、あるいは韓国起源だと主張されるものについて否定や反論をした)サイトがダウンさせられた、などという話も聞きますので(汗)。

韓国はネット先進国と主張していますし、事実普及もしているようですが、決して、グローバルでみたネット上のマナーは、成熟に遠いようです……。

投稿者 とら : 2005年11月15日 11:54

T.D. さん、こんにちは~。

> 私は「Blog」と「ブログ」は違うものだと思うようになってきまして、「Baseball」と「野球」が異なるように、それはそれで構わないのだと思っています。

「Blog」と「ブログ」は違う。これは面白い表現です!
たしかに日本の場合は「WEB 日記」という伝統(?)がありましたから、ブログ利用法も個人的な性格が強いのかもしれません。私自身もパブリックに配慮しつつも個人的なツールという感触を持っています。

> 私にとってブログは単なる趣味ですから

T.D. さんの文章を読んでからつくづく考えました。私にとってのブログやホームページは「単なる趣味」の範疇を超えているように思えます。もちろん、これは個人個人によって異なってくるわけですから、一般論として「ブログは単なる趣味以上のもの」と主張するわけではありません。

また「単なる趣味」の範疇を超えているといっても、具体的にどういうことかと問われたら困ってしまいます(笑)。私の戦略としては「ブログとは何か?」のような言説は避けて(それに縛られるのも面白くないので)、好き勝手にブログ活動をしてゆこうと思っています。ただしセキュリティには気を配りつつ・・・。

> ただ、私はブログブームは近い内に終焉するんだろうなぁとこの頃思っていまして、

私にもそういう予感はあります。けれども、これだけ多くの人がインターネットを通じて「自己を表現する」ことの面白さを知ってしまった以上は、何らかの形で「ブログを継ぐもの」が現れるだろうとも思っています。それが何になるかは分かりませんが、楽しみではありますね。

投稿者 喜八 : 2005年11月15日 15:28

とらさん、こんにちは!

> 実は、韓国では恒常的に「まつり」が行われているかもしれません。

私の個人的体験では日本人・韓国人・中国人・台湾人はわりと似ているところがあります。東洋人の仲間だから当然ですね(笑)。となると日本で「まつり」が行われているのなら、他の東洋諸国でも行われている可能性は高いような気がします。

> 本来なら具体的にURLをあげるべきですが、マジで、この手のものは、下手に紹介しただけでも「どこから言いがかりをつけられたり、経路をたどられたりして、誰が被害にあうかわからない」ため、書きません。

お気遣いありがとうございます。m(__)m
私は日本・韓国・中国などの東洋人同胞はお互いに戦うべきではないと考える「東洋主義者」です。不毛な争いは避けたいですね。けれども、いったんインターネットで火がついてしまうと、いくら私が「東洋主義者」だと主張しても焼け石に水となる危険性はありますから(汗)、とらさんの配慮には大いに感謝します!

欧米におけるインターネットのマナーもけっしてよくはないようです。英語表記のホームページを持っている人(日本人)の伝えるところでは、欧米には非常にワガママな要求を堂々としてくる人が少なくないそうですよ。また、アメリカ人と貿易の仕事で日常的にメールのやりとりをしている方に聞くと「彼らは勝手なことばかり言ってくる」そうです(笑)。

何処の国の人でも人間は自分勝手でワガママというのが私の個人的感想です。と、同時に人情深くて親切であるという確かな実感もあります。そういう矛盾したところが人間の面白いところなのだと思っています。

投稿者 喜八 : 2005年11月15日 15:29

そうそう、程度の差はあれ、日本とは別の文化を持つ人々に関しては、なにかと、
「まったくよーっ!」
というのが、あると思います(笑)。
逆にあちらもそう思っているのでしょう。
ほんとは、個人のつきあいと同じく、他文化のやり方を理解して、お互い妥協点を見出していくべきだと思うのですが、さてさて。
私の狭い見聞の中では、残念ながら、韓国にはそういう姿勢が全く見られないようです(^^; 韓国のネットで「まつられ」た人は、ほんと、ひどい状況になっているようす。喜八さんが記事中で紹介されたリンクから、2chでの「まつり」の変遷を見る事ができますけれども、まさに、初期の2chの「まつり」と同等以上の印象です。
(もっとも、韓国のネット全体がそうなのかはわかりません。やはり、2chのような場所があって、そこから全国的に盛り上がってしまうのかも。日本より人口少ないですし)。
また、中国は、まだまだ、政府のネット支配・ネット操作が強いようです。中国に在住している日本人の方が、いろいろな面で、よく、こぼされています(^^;
特定サイトが見られない、などなど。春先の反日デモの時は、政府でネットが操作されたという話もありましたね。

とはいえ、インターネットそのものが、まだ、ようやく誕生して2桁になったばかりで、若いメディアですから、そこのところも踏まえて、見ていく必要はあるのでしょうね。

投稿者 とら : 2005年11月15日 17:01

とらさん、フォロー有難うございます!
確かに、韓国のサイバー暴力について触れないとフェアとは言えないですね・・・。ご存知の通り、とらさんがご紹介になったような事情もあり、韓国政府が「ネット実名化」の方向性を打ち出している実情もあります。

また、喜八さんも指摘されているように欧米でもネットマナーも決して良くはないのも事実としてあるのでしょう。

ただ、韓国ではサイワールド(SNS)に韓国人の4人に1人が登録し、大半が実名+顔写真公開で活動しているという事実があります。(この点、日本におけるmixiの状況とは決定的に異なります。)サイワールドの勝因は実名制にあったとも分析されています。韓国もUSも「Webは匿名で」がスタンダードでしたが、韓国ではサイワールドの爆発的普及で、USではBlogの普及によって、実名化が勢いを増してきました。

そのことによる弊害もあるでしょうし、「匿名実名論争」に入ってしまうと大変なことになりますので(苦笑)この辺にしますが、やはり、国が違えば文化も違いますから・・・サイワールドが日本に進出して韓国のようなムーヴメントを起こすかは分からないと…本音ではそれは多分無理だろうと思います。

韓国では韓国の、日本では日本の、それぞれ異なるネット文化が育まれていると思います。サイワールドや(やはり韓国のオーマイニュースを見ても、そう思います。)

私は、韓国文化に触れてきましたし、韓国人との交流もありますが、日本とは相違は、やはり決定的にあると思っています。中国、台湾も同様です。むしろ、「違いがあるからこそ他の文化圏との交流は面白い・意義がある」と感じています。その意味では、私は喜八さんの言われる「東洋主義者」ではないのかも知れませんね(苦笑)。不毛な論争は、アジアに限らずどこの国の人とも避けたいと思っています。

T.D.

投稿者 Anonymous : 2005年11月15日 17:19

失礼しました。上記発言は私のものです。 T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年11月15日 17:21

> とらさん

「エアロバキバキ」など最近の「まつり」に関しては攻撃する側にもそれなりの「理由」があるようです。
けれども、もし「理由もなにもなしに不作為に選んだブログ管理人を攻撃する」なんてのが流行ったら、これは怖いですよ(あくまで仮定の話ですが)。
ある日突然不特定多数の群集から中小誹謗・人格攻撃・プライバシー暴露の集中攻撃を受けてしまう。理由は単に「運が悪かった」というだけ!
なんて、よくよく考えたら筒井康隆さんの小説にありましたね。
さすがは筒井先生、なんという先見性でしょう!

私の東洋主義には「韓国や中国の美女と仲良くしたい」という面もあります。韓国・中国には真面目な人も多いと思いますので、付け加えておきますが、私は真面目な独身男性で真面目に恋愛をしたいと思っているのです(笑)。

> とはいえ、インターネットそのものが、まだ、ようやく誕生して2桁になったばかりで、若いメディアですから、そこのところも踏まえて、見ていく必要はあるのでしょうね。

インターネットの使い方もどんどん変化してゆくのでしょう。その過程でとんでもない災難に遭う危険性もありますから、お互いに気をつけて行きましょう~!

投稿者 喜八 : 2005年11月15日 17:25

> T.D. さん

> 韓国もUSも「Webは匿名で」がスタンダードでしたが、韓国ではサイワールドの爆発的普及で、USではBlogの普及によって、実名化が勢いを増してきました。

そうなんですか! これもまったく知りませんでした。
このところ連日 T.D. さんに教えてもらってばかりいます(汗)。
有難うございます~。m(__)m

> 「匿名実名論争」に入ってしまうと大変なことになります

私も「喜八」というハンドルネーム=匿名に慣れ親しんでいますので、実名 WEB というのはピンときません。
木村剛さんや堀江貴文さんなどは本名でブログを書かれていますね。ああいう有名な人で更に会社経営者であれば本名にもメリットがあるのでしょうけれど、一般人の場合なにかいいことがあるのでしょうか? ちょっと考えてもデメリットのほうが多いようですが・・・。

> 私は、韓国文化に触れてきましたし、韓国人との交流もありますが、日本とは相違は、やはり決定的にあると思っています。

当然、違いはあるでしょうけれど、あえて気にしないことにしているのです(笑)。同じ日本国籍を持っている者同士でも価値観の違いは個々人によって大きいですからね。それぞれの顔が違うように考え方も違って当然です。「違い」に拘っていくと、結局はひとりひとり孤立することになるのではないでしょうか。ちなみに私も中国・韓国の人とは日常的に親しくつきあった経験があります。

> その意味では、私は喜八さんの言われる「東洋主義者」ではないのかも知れませんね(苦笑)。

私の東洋主義はいい加減です(笑)。
隣近所同士、大人同士としてサバサバ付き合っていこうという考え方です。
国同士はたとえ仲が悪くなっても「引っ越す」ということができないですから。

投稿者 喜八 : 2005年11月15日 20:46

こんにちは。ハルです。
>「自分の退屈な日常を書いても意味がない」
確かにそう思います。
私が最もつまらないと思うブログのジャンルが日記だったりしますから。
日記中心に書いてる人にはほんと申し訳ないですが、「今日誰それに会って何をした」って話はよっぽど自分の興味分野でない限り大抵スルーしてます。
あと、たまに映画のレビューだけ読みたいのに映画の話と日常の話を一緒に書かれたりして「映画のレビューだけにしてよ~」って記事もちょくちょく見かけます。
まあ私はただ単にオチのない話が好きじゃなかったりするからでしょうけど。

それにしても筒井康隆さんの小説ってまるで世にも奇妙な物語ですね!
エアロバキバキにしても「〇〇って知ってる?」ってくだりは奇妙な物語の「ずんどこべろんちょ」のインターネットバージョンのようなってちょっと話がずれましたけど^^;

サーバーに上げてしまえば誰でも閲覧可能だというのは最近私も感じました。
アンソニー・ウォンの知り合いの方と何度かメールのやり取りをしたんですが、その方がまるで私のブログを読んでるような記述をされましたもんで・・・
私が思ってる以上に日本語が達者なのかも。
下手な事は書けませんね。

投稿者 ハル : 2005年11月16日 10:53

ハルさん、こんにちは~!

> あと、たまに映画のレビューだけ読みたいのに映画の話と日常の話を一緒に書かれたりして「映画のレビューだけにしてよ~」って記事もちょくちょく見かけます。

そういうことは私も結構やっているかもしれません(汗)。
ブログの文章はどうしても「自分のために」となりがちですから、きっちりしたスタイルにはなりにくいですね。(^_^;)

> それにしても筒井康隆さんの小説ってまるで世にも奇妙な物語ですね!

これはたしか「おれに関する噂」だったと思います(未確認です。記憶違いかもしれません)。
筒井康隆さんの「乗越駅の刑罰」は痴漢冤罪の恐怖にもつながりますし、先進的な小説家なのだなあ、と改めて思います。

> アンソニー・ウォンの知り合いの方と何度かメールのやり取りをしたんですが、その方がまるで私のブログを読んでるような記述をされましたもんで・・・

アンソニー・ウォンといえば『フライト・オブ・フェニックス』をレンタルしようと思っているのですが、いつも貸し出し中でなかなか観ることができません。これは「面白い!」というサインでしょうか! 期待しています。

投稿者 喜八 : 2005年11月16日 12:14

喜八さん、こんにちはー。

>私も「喜八」というハンドルネーム=匿名に慣れ親しんでいますので、実名 WEB というのはピンときません。
木村剛さんや堀江貴文さんなどは本名でブログを書かれていますね。ああいう有名な人で更に会社経営者であれば本名にもメリットがあるのでしょうけれど、一般人の場合なにかいいことがあるのでしょうか? ちょっと考えてもデメリットのほうが多いようですが・・・。

その回答になっているかは分かりませんが、以下のような状況も考えられます。「Top Ten Design Mistakes」について言及したサイト(下記)ですが…。
http://www.useit.com/alertbox/weblogs.html

9番目に「 Forgetting That You Write for Your Future Boss」とあります。Blog管理者が組織人であった場合でも、例えば転職の際にレジュメでそのBlogにrefereすることはあるかもしれませんし、Blogもヘッドハントの参考資料になるかもしれません。社内の異動の場合も同様です。これは主にUSの話ですが、日本の大学生でも就職活動を念頭において実名ブログをつけているケースも見られます。そうなるとブログもキャリア・デザインのためのツールの一つですが…。ご参考までと言うことでお知らせします。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年11月23日 16:05

tropical_dandy さん、こんにちは。
インターネット情報をありがとうございます。

> これは主にUSの話ですが、日本の大学生でも就職活動を念頭において実名ブログをつけているケースも見られます。

「就活」のためのブログですか。なるほど、ある程度のボリュームのブログなら、その人がどれだけの「力」があるかハッキリ現れてしまうでしょう。

ところで、これは学生だけでなくて我々にも当てはまりますね。
私はブログにはプライベート情報をあまり書かないほうですが、それでも記事を注意深く読めば「どれだけの力量をもつ人間か?」ということは分かってしまうでしょう。これは個人情報がどうこうという話ではありません。もっと本質的なことを問題にしています(冷や汗が流れます)。

そう考えると WEB に文章をアップさせるのは「怖い」と改めて思います。とはいえ、今後も懲りずにブログを書き続けるつもりですが(笑)。

投稿者 喜八 : 2005年11月24日 15:26

喜八さん、こんばんはー。

>私はブログにはプライベート情報をあまり書かないほうですが、それでも記事を注意深く読めば「どれだけの力量をもつ人間か?」ということは分かってしまうでしょう。これは個人情報がどうこうという話ではありません。もっと本質的なことを問題にしています(冷や汗が流れます)。

喜八さんの仰ることは私も理解できます。ただ、これはネットに限らず、人間の社会生活の中で、自ずから「その人に対する評価が定まってくる(その評価が適正なものであるかは別論です。別のコミュニティでは別種の評価をされる可能性もあります)ことがネットと言う不特定多数の人の視野に入ることによる可能性の広がり、と言うことに過ぎないのかな、とも思います。人間社会ですから、捨てる神あれば拾う神あり、ある人にはアンモラルだと思われたことが、ある人には人間的な深みを感じさせたりと…上手く言えませんがそういうものだと思っています。

人の評価は所詮相対的なものですから、それよりも私は絶対的なる何ものか(人によってはそれは神でしょうし、人生そのものと言っても良いかも知れません)を畏れます。という訳で、私も懲りずにWeb上に文章をアップし続けようと思っています(笑)。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年11月30日 23:39

tropical_dandy さん、こんにちは!
コメントありがとうございます。

よくよく考えると「他人の評価」というよりは「自分自身の評価」が怖いという面もありそうです。ブログを書き続けて、たくさん記事がたまったところで自分の文章を読み直してみると・・・。「俺はせいぜいこんなものか!」と気づいてしまう。これ怖くありませんか?(笑) 誤解があるといけませんから断言しておきますが、あくまで私自身の問題として書いています。

> 人の評価は所詮相対的なものですから、それよりも私は絶対的なる何ものか(人によってはそれは神でしょうし、人生そのものと言っても良いかも知れません)を畏れます。

キリスト教・イスラム教・ユダヤ教のような宗教(一神教)を持たない私には想像しにくいのですが・・・。
T.D. さんのいう「絶対的なる何もの」を想定して生きていくのは、人生を有意義に過ごすための強力な助けとなるのでしょうね。
とはいえ、これから一神教に帰依する気にもならないのですが・・・。

> という訳で、私も懲りずにWeb上に文章をアップし続けようと思っています(笑)。

そうですね。試行錯誤しながら実行してゆくのが大切だと思います(とってつけたような結論!)。

投稿者 喜八 : 2005年12月01日 13:35

喜八さん、こんばんはー。

>よくよく考えると「他人の評価」というよりは「自分自身の評価」が怖いという面もありそうです。ブログを書き続けて、たくさん記事がたまったところで自分の文章を読み直してみると・・・。「俺はせいぜいこんなものか!」と気づいてしまう。これ怖くありませんか?(笑) 誤解があるといけませんから断言しておきますが、あくまで私自身の問題として書いています。

それは、本人の受け取り方にも依るのではないでしょうか?日記などに書き溜めた文章を後から読むと、思慮が浅かった…と思うようなことはあると思います。ただ、それはそれを感じることができる自分が今ここにいる、ということで「成長」と捉えれば喜ばしいことではないかと思います。「聞くは一時の恥」と言いますが、私は無知それ自体を恥とは思いません。無知故に大きな過ちを犯してしまうこともありえます。

しかし、無知から学び、思索を深めていく…そうした過程自体に価値があると思っています。むしろ、未知の分野に関しても貪欲に学んでいった方が人生豊かになると私は思っています。その過程では、無知を晒すことになるかも知れませんが…そのことによって自分の人生も、引いては他者の人生も豊かなものにできれば、「一時の恥」など恥ではないと、私は思います。

>キリスト教・イスラム教・ユダヤ教のような宗教(一神教)を持たない私には想像しにくいのですが・・・。
T.D. さんのいう「絶対的なる何もの」を想定して生きていくのは、人生を有意義に過ごすための強力な助けとなるのでしょうね。とはいえ、これから一神教に帰依する気にもならないのですが・・・

私は私の信念に関して、他者に強制したり、-それが宗教の場合-勧誘したりすることは一切しませんので、ご安心ください(笑)。ただ、今後何の役に立つかも知れませんので、ご参考までに、「一神的世界観」について私が知るところだけをお話します。これは(その3宗教ともそうですが)人生を有意義にするか否かは分からない、と言うのが実際のところです。(旧約・新約両聖書・クルアーン[コーラン]をお読み頂ければお解かり頂けるかと思います。)ただ唯一絶対的なるものとの「契約」を受け入れるかどうかで、その人の世界観が定まります。

その後はそういう存在を「想定している」のではなくて、アプリオリに認識している、のが多くの状態です。(信仰それ自体により「救済」を約束されている訳ではないですから。むしろ「狭き門」より入る、という苦難を課されていると感じながら日々を過ごす方も多いかと思います。)

また、人生、何がどうなるか分からない、ということが私の人生観の根底にありまして、予期せぬ何かがきっかけで今まで関心を持てなかった世界が自分に開かれているか知ることもあると、私は感じています。勿論、私は喜八さんのお立場を最大限尊重する立場ですから、勧誘めいた印象を与えたなら、お詫び致します。ただ、こういう世界観で生きている人間もいると知って頂ければと思い、余計なことを言いました。

また、いわゆる一神教は日本においてはマイノリティそのものです(最も多いキリスト教でも総計0.8%です)。他方で、世界ではこの教えを旨として生きている多くの人がいる-このことが日本人の海外に対する理解を曇らせているような気がしてなりません。「知識として」一神教を知る、これも国際人としての基礎教養ではないかと、私は思っています。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年12月02日 02:16

tropical_dandy さん、こんにちは。
コメントありがとうございます!

> 「俺はせいぜいこんなものか!」と気づいてしまう。

これは私の性格なのですね(汗)。
プレゼンテーションなどは大の苦手です。一般に日本人は欧米人に比べてプレゼンテーションが下手といわれます。が、私は日本人の中でも更に下手です(大汗)。

> これは(その3宗教ともそうですが)人生を有意義にするか否かは分からない、と言うのが実際のところです。(旧約・新約両聖書・クルアーン[コーラン]をお読み頂ければお解かり頂けるかと思います。)

う~む、そうですか。たしかにその通りなのでしょう。一神教に帰依したからといって有意義な人生が約束されるわけではない。宗教への帰依は「第一歩」に過ぎない。よく考えたら当たり前のことですね(汗)。

> ただ、こういう世界観で生きている人間もいると知って頂ければと思い、余計なことを言いました。

あれ? T.D. さんは仏教徒かと思っていました。たしか大学では大学公認の仏教サークルに所属されていましたね。と、これは詮索するわけではありませんが・・・。

> また、いわゆる一神教は日本においてはマイノリティそのものです(最も多いキリスト教でも総計0.8%です)。他方で、世界ではこの教えを旨として生きている多くの人がいる-このことが日本人の海外に対する理解を曇らせているような気がしてなりません。「知識として」一神教を知る、これも国際人としての基礎教養ではないかと、私は思っています。

まさにその通りです!(T.D. さんに指摘されて初めて気づいたのですが)。
イスラム教やキリスト経を信仰する方たちとの会話では双方の言っていることが微妙にずれる。もっと正確にいうと私自身の理解が誤っていることが多かったと感じています。私自身は今後も「神仏混淆的仏教徒」として生きてゆくつもりです。が、『「知識として」一神教を知る』ことを心がけたいと思います。

投稿者 喜八 : 2005年12月02日 14:13

喜八さん、こんばんはー。

>と、これは詮索するわけではありませんが・・・。

一般論としては、これは詮索されない方が良いのではないでしょうか。まず、私の旧ブログは閉鎖されていますし、この喜八さんの記事のテーマはちょっとした「属性」からその人個人が特定される危険について書かれたものです。また、旧ブログを閉鎖した理由は私はこれまで明らかにしていませんし…。

敢えて、喜八さんが、私の旧ブログに掲載されていた内容を書かれるのは、記事の趣旨からすると危険なことかも知れませんし…と言った一般論はさておき(実はこうした属性の「足跡」を消したかったので、ブログを移転したのですが…)喜八さんの問われることは分かります。私は仏教思想に関して研究していた(現にしている)ことは事実ですし、今も仏教書を手放しません。

私は、ただ、より自由になりたいと希求しているのです。(謎かけのような回答で済みません。)それから、信仰に関することは本当に人生における芯の部分で私的なことですから…これ以上の回答は差し控えさせて頂きます。これは(閲覧可能性という点において)喜八さんと私の私的な会話でもありませんから、これで充分ではないかと思慮します。

>まさにその通りです!(T.D. さんに指摘されて初めて気づいたのですが)。
イスラム教やキリスト経を信仰する方たちとの会話では双方の言っていることが微妙にずれる。もっと正確にいうと私自身の理解が誤っていることが多かったと感じています。私自身は今後も「神仏混淆的仏教徒」として生きてゆくつもりです。が、『「知識として」一神教を知る』ことを心がけたいと思います。

私はこれまで日本社会でマジョリティの側にいると思ったことはありませんでした。日本はpeer pressureの強い社会だと、複数の文化圏を経験してきた私はずっと思っていました(それから、私は日本国内でもマイノリティでしたから)。

ですから、喜八さんが「日本人の寛容性が失われている」と嘆き、神仏混交を例に出されて「中東で今も起こっている悲劇をその日本人が解決に向けての橋渡しをすることができれば、それは尊敬されること」と言う趣旨のことをおっしゃったとき、非常に違和感を感じました。新自由主義批判は結構ですが、「日本人が元々寛容だった」とは、私は思いません。むしろ、日本人は多様性を好まない。異分子を好まない。これが、私の物心ついてから感じてきたことですし、歴史的に見ても宗教弾圧など、相当に過激ですよ。「神仏混交」はマジョリティの歴史だと思っています。

まず、相手方が何を思い何を煩っているかを知ることなしに、共感を得ることができるかどうか、私は非常に疑問に思います。宗教は生活そのものですから、尚更です。ですから、宗教について考えることは国際理解と言うよりは、広く人間理解にとってとても重要なものだと私は思っています。

今後、好むと好まざるとに関わらず、一神教文化圏からの移民は人口構成的に増加するでしょう。その時、何らかのコントリビューションができれば、とは思っていますし、現にそうした活動もしています。既にlame duckの小泉政権を批判することよりも、起こりうる危機、に私はできることをしたいと思っています。生意気な発言、お赦し下さい。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年12月02日 21:46

tropical_dandy さん、こんにちは~。
コメントありがとうございます。

> また、旧ブログを閉鎖した理由は私はこれまで明らかにしていませんし…。

そうですか! たしかに先の私の書き込みは軽率でした。
T.D. さんから依頼があれば即座に当該個所を削除しますが、どういたしましょうか?

> ですから、喜八さんが「日本人の寛容性が失われている」と嘆き、神仏混交を例に出されて「中東で今も起こっている悲劇をその日本人が解決に向けての橋渡しをすることができれば、それは尊敬されること」と言う趣旨のことをおっしゃったとき、非常に違和感を感じました。

T.D. さんが指摘する私の発言はかなり政治的なものです。
もちろん、私も日本人は美点ばかりで欠点などないと主張する者ではありません。すべての個人は美点も欠点も同時に持ち合わせていると考えます(いうまでもないことですが)。歴史上「偉人」と称えられるような人でも欠点ばかりを挙げていけば「極悪人」となるでしょう。逆もまた真です。

国際政治の場で「日本は駄目ですから・・・」なんていっててもダメですから(笑)、たとえ奇麗ごとであっても堂々と自らの正当性を主張することも時には必要かと思われます。なお、これは対外的な視点です。

国内的にはまた別の思惑があります。「世界に向かって日本の『正しさ』を主張するなら、国内に不正義や差別があってはいけない。それは日本の恥になる。まず我々自身が向上しよう」と呼びかける。これが私の戦略です。

他者から「差別はいけない」といわれて差別心を克服できる人もいることはいるでしょう。こういう人は真に偉大な心の持ち主です。けれども(私自身も含めて)多くの人はそうはいかない。悪いことと知りつつ差別心を克服できないでいるのが大多数ではないでしょうか。そういう人でも「あなたは立派な人だ! だから差別のような卑しいことはやめよう!」と呼びかけられたら、あるいは・・・、と考えるのです。

ただし、以上の理屈は現に差別を受け続けている人たちには「自分勝手で」「生ぬるい」ものに見えてしまうかもしれません(たぶん見えるでしょう)。
T.D. さんの指摘で気づきました。この点は考慮の余地がたっぷりありそうです。

> むしろ、日本人は多様性を好まない。異分子を好まない。これが、私の物心ついてから感じてきたことですし、歴史的に見ても宗教弾圧など、相当に過激ですよ。

ご指摘の点は間違いないでしょう。が、それは一面の真実です。逆の面から光を当てればまた違う面が見えてきます。真実はひとつだけとは限らないですから。宗教弾圧や非寛容に関しては上記の一神教にも非常に多く見られますね。ある意味では普遍的な人間性ではないでしょうか(だからといって正当化するわけではありません)。

> 既にlame duckの小泉政権を批判することよりも、起こりうる危機、に私はできることをしたいと思っています。生意気な発言、お赦し下さい。

小泉政権が「lame duck」であると認識してはいません。また、次にくるのはより危険な政権になるのではないかと思っています。もっと正確にいうと、それらの政権を支持する日本の「雰囲気」に危惧を抱いています。私はかなり臆病で怠惰な人間ですから、新自由主義批判・現政権批判も及び腰で取り組んでいます。が、実際のところ新自由主義の危険性はいくらいってもいい足りないくらいだと考えています。

投稿者 喜八 : 2005年12月03日 14:05

喜八さん、こんばんはー。

>T.D. さんから依頼があれば即座に当該個所を削除しますが、どういたしましょうか?

私はas-isで構いません。喜八さんの判断にお任せします。

>> ですから、喜八さんが「日本人の寛容性が失われている」と嘆き、神仏混交を例に出されて「中東で今も起こっている悲劇をその日本人が解決に向けての橋渡しをすることができれば、それは尊敬されること」と言う趣旨のことをおっしゃったとき、非常に違和感を感じました。
>T.D. さんが指摘する私の発言はかなり政治的なものです。もちろん、私も日本人は美点ばかりで欠点などないと主張する者ではありません。すべての個人は美点も欠点も同時に持ち合わせていると考えます(いうまでもないことですが)。歴史上「偉人」と称えられるような人でも欠点ばかりを挙げていけば「極悪人」となるでしょう。逆もまた真です。国際政治の場で「日本は駄目ですから・・・」なんていっててもダメですから(笑)、たとえ奇麗ごとであっても堂々と自らの正当性を主張することも時には必要かと思われます。なお、これは対外的な視点です。

それは極論と感じます。「極悪人」か「偉人」しかこの世にはいなののでしょうか?まさか、そんなことはないでしょう。それから、私は「相手方の事情」を充分に忖度することなしに、「堂々と自らの正当性を主張する」ことは愚かであると思いますし、それによって傷つく人達のことも考えれば、そのような主張は出てこないと思います。一神教に関しては日本人のマジョリティは「無知」なのですから、お恥ずかしいことは止めた方が良いでしょう…と私は思います。(それでもご自分の主張を変えない、のはご自由ですが、止めておいた方が良いと、私は強く思います。)

>国内的にはまた別の思惑があります。「世界に向かって日本の『正しさ』を主張するなら、国内に不正義や差別があってはいけない。それは日本の恥になる。まず我々自身が向上しよう」と呼びかける。これが私の戦略です。

ご趣旨は同意いたします。であるならば、日本国内のマイノリティに対する態度、世界の一神教の歴史に対する認識を、日本国内で改めるべきと、私は考えます。

>ただし、以上の理屈は現に差別を受け続けている人たちには「自分勝手で」「生ぬるい」ものに見えてしまうかもしれません(たぶん見えるでしょう)。
T.D. さんの指摘で気づきました。この点は考慮の余地がたっぷりありそうです。

喜八さんの佳きご配慮をと、上のコメントを読ませて頂いて感じました。とても嬉しく思います。

>ご指摘の点は間違いないでしょう。が、それは一面の真実です。逆の面から光を当てればまた違う面が見えてきます。真実はひとつだけとは限らないですから。宗教弾圧や非寛容に関しては上記の一神教にも非常に多く見られますね。ある意味では普遍的な人間性ではないでしょうか(だからといって正当化するわけではありません)。

確かに、真実は一つではないですね。特に、弾圧された側、の真実は圧殺されがちであることは喜八さんも、お認めになると思います。普遍的な人間的現象…一神教的なるものをご批判なさるのはご自由ですが、自ら(日本民族)の非寛容性を顧慮することなくそれを論じるなら、日本に住まうマイノリティの支持を得ることはできないでしょうね。(少なくとも、私は支持しません。)私は、日本で「差別」を幼少時から受ける立場にいました。日本社会なるものに対する私の視点は、そこから変らない。これを、人類普遍の現象、とは、喜八さんらしくないではありませんか?イスラム教徒だと言うだけで公安のマーク対象になることを喜八さんはご存知ですか?それで、一神教の歴史的非寛容性を普遍的現象、とは…。

本当は、差別(それはとても哀しいことです、受けてみれば分かること)なぞ受けなくても、他者の痛みを知ることができる、と言うことは可能と思います。その問題を抜きにして、日本が中東和平へのメッセージを贈っても、空疎に聴こえます。

>小泉政権が「lame duck」であると認識してはいません。また、次にくるのはより危険な政権になるのではないかと思っています。もっと正確にいうと、それらの政権を支持する日本の「雰囲気」に危惧を抱いています。私はかなり臆病で怠惰な人間ですから、新自由主義批判・現政権批判も及び腰で取り組んでいます。が、実際のところ新自由主義の危険性はいくらいってもいい足りないくらいだと考えています。

それが「陰謀論」めいた言説なりイエロー・ジャーナリズム紛いのソースに依拠しているのが、悲しいですね。堂々と「新自由主義」に対する個別の政策論議に挑んで頂きたいと思います。「いくらいってもいい足りない」ことなら、喜八さんの言説を現に支持している人以外にも届けられなければ意味はないのではないですか?佐野眞一さんが小泉首相と侮蔑的呼称で何と呼んだか、ではなく、小泉「構造改革」のここが問題だ!と言われた方が私は納得感を覚えるのですが。

小泉政権後の日本社会に私が覚えるのは、端的に、移民に対する差別問題です。(日本社会の構造変化にそれは不可避ですから。)痛みを知る者としてそれは、私は避けたいのです。ですから、私は私のできる範囲でできることをしようと思い、現にしています。でも、本当は「差別されたことはなくても、それは醜いと感じる」日本であって欲しいと、私は思います。

T.D.

投稿者 tropical_dandy : 2005年12月04日 00:34

tropical_dandy さん、こんにちは。
有益なコメントを頂きましてありがとうございます。
おかげでボンクラな私も思考を深めることができます。

> 一神教に関しては日本人のマジョリティは「無知」なのですから、お恥ずかしいことは止めた方が良いでしょう

そうですね。「日本人のマジョリティ」のことはさておいて、私自身が一神教に関して無知ですから、下手に手をださないのが無難かもしれません(少なくとも現時点では)。

> 普遍的な人間的現象…一神教的なるものをご批判なさるのはご自由ですが、自ら(日本民族)の非寛容性を顧慮することなくそれを論じるなら、日本に住まうマイノリティの支持を得ることはできないでしょうね。

いえ、私は「一神教的なものを一神教であるという理由での批判」はまったくしておりません。それは相互了解事項であると思っていましたが、もしかしたら私の文章技術の拙さのために誤解を招いたかもしれませんね。そうであったらお詫びを申し上げます。

> イスラム教徒だと言うだけで公安のマーク対象になることを喜八さんはご存知ですか?

知っています。また一般に外国籍の市民が警察官による職務質問を受けやすいのも知っております。本で読んだだけの「知識」としてでなく「体験」として知っています。ついでに書いておくと私自身も「職質」を受けやすい雰囲気・容貌らしいのです(笑)。

> それで、一神教の歴史的非寛容性を普遍的現象、とは…。

一神教・多神教・無神論者に共通する「普遍的現象」という意味です。どんな人間であっても心の奥底には非常に醜いもの・残酷な心をもっているというのが私の人間観です。だからダメだとは考えませんが。

> それが「陰謀論」めいた言説なりイエロー・ジャーナリズム紛いのソースに依拠しているのが、悲しいですね。

まず佐野眞一さんが「イエロー・ジャーナリズム紛い」だとは考えません。また「ジャパンポンチ」がイエロー・ジャーナリズムであるとも思いません。実際に読んでみれば分かりますが、非常に志の高い複数のジャーナリストが参加しているムックです。

さらにいうなら単純に「イエロー・ジャーナリズム=悪」と私は考えないのです。強大な権力をもっている者と正面から戦えばあっけなく潰される。そのような状況ではイエロー・ジャーナリズムこそがゲリラ的手法として有効である場合もあるはずだからです。

> 小泉「構造改革」のここが問題だ!と言われた方が私は納得感を覚えるのですが。

それはまさにその通りです。非力な私には荷が重い作業ではありますが・・・(汗)。
じつは鈴木宗男さんの『反乱』を取り上げた記事では密かに毒を盛り込んであります。
以下の部分です。

> もし「わたり」廃止程度のことができないというのであれば(そんなことは万が一にもありえないと思いますが)「小泉改革」の正当性は疑われてしまうこととなるでしょう。弱い者には痛みを押しつけて強い者の既得権益は温存する「インチキ改革」という審判が下されるでありましょう。

> でも、本当は「差別されたことはなくても、それは醜いと感じる」日本であって欲しいと、私は思います。

世界的に見れば黄色人種全体が「被差別民」であることは明白なのです。ひとりで外国旅行をして、一般の日本人旅行者があまり行かないような地域を歩いてみればすぐに分かることだと思うのですが・・・。
「見たくない現実を見ない」?

もちろん最後の一節は T.D. さんのことではありませんよ(笑)。

投稿者 喜八 : 2005年12月04日 10:14