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2006年03月27日

『六千人の命のビザ』

『六千人の命のビザ』杉原幸子

六千人の命のビザ」を発行した杉原千畝(すぎはら・ちうね、1990-1986)は日本の外交官です。第2次世界大戦開戦の1939年(昭和14年)、リトアニアの首都カウナス(当時)の日本領事館領事代理として赴任。翌1940年夏、ナチス占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた大勢のユダヤ人に日本通過ビザ(査証)を発給しました。なお、カウナスでビザを得られなかったユダヤ人の多くはナチスの強制収容所で虐殺されました。

杉原千畝により命を救われたユダヤ人は約6000人といわれています。ビザの発給は本国外務省の訓令に背いた、杉原千畝個人の判断によるものでした。このため杉原氏は戦後外務省を追われることとなりました(異説もあります)。1991年(平成3年)、鈴木宗男政務次官(当時)の働きかけにより、幸子未亡人を招いて「杉原氏の行為を訓令違反としたのは誤りであった」と謝罪。この際、省内には激しい抵抗があり、鈴木次官が外務省幹部を説得するのに3日間が必要だったといわれています。

本書『六千人の命のビザ』は杉原幸子さんによる覚え書きです。誤解を招くかもしれないことを承知の上でいえば、きわめて「面白い」本です。もし、スティーブン・スピルバーグ監督によって原作に忠実に映画化されるなら、アカデミー賞の複数部門にノミネートされること間違いなしでしょう。

フィンランド、リトアニア、チェコスロバキア、ドイツ、ルーマニアと戦乱のヨーロッパ各国に赴任した外交官杉原千畝とその家族。リトアニア・カウナスでの逃亡ユダヤ人たちへのビザ発給。ドイツの敗北とともにルーマニアでソ連軍により抑留。酷寒の地をシベリア鉄道で長い長い旅の末、1947年(昭和22年)に帰国。敗戦日本で待っていた「外務省追放」。戦後の苦闘。28年の時を経て、かつての逃亡ユダヤ人たちと再会。1985年(昭和60年)イスラエルに招かれ《諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)》受賞。まさに波乱万丈で感動に満ちた物語です。

なかでも唸らされたのは、大戦末期のルーマニアで幸子夫人がただ1人、進駐ドイツ軍部隊の敗走に巻き込まれ、8日間にわたってドイツ兵たちと行動をともにした事件です。ルーマニア・パルチザンとドイツ軍の激烈な戦闘。幸子さんを保護してくれたドイツ人の若い将校はこの戦いで戦死しました。誇張でも何でもなく「九死に一生」の体験です。もし映画化がなされたら、ここは全ストーリー中でももっとも印象的なシークエンスのひとつとなるでしょう。

六千人の命のビザ』のスティーブン・スピルバーグ監督による映画化。これは本気で実現を考えられてもよい事案ではないでしょうか? 杉原千畝の行跡は巨大な遺産です。 「かつてセンポ・スギハラ(杉原千畝)という日本人がいた」という事実を世界に知らしめることは、今後われわれ日本人が国際社会で生きていくうえで大いな助力となると思います。

(『六千人の命のビザ』杉原幸子、大正出版、1993)


投稿者 kihachin : 2006年03月27日 20:52

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トラックバック時刻: 2006年10月31日 15:32

コメント

 今晩は。
 杉原千畝氏の事跡、これまでもNHKのドキュメンタリー、「ある外交官の…」というような題でも見たようなで気がします。
 正真正銘立派な方ですね。
 あの大戦中の狂気の中(これも今だから言えることですが…)で、よくこのような崇高な行為ができたものと今更ながら感銘させられます。このような方こそ日本が誇る真の武士道の体現者だと思います。
 それにしても、悪貨は良貨を駆遂するの例えで、戦時中、軍人でも民間人でも良識のある人の多くが中央から追い払われ、そういう立派なかたほど、いざ前線に立つと勇敢に戦い早く亡くなられたようですね。
 あの戦争がもしなかったら、その後の日本の各方面で、運良く生き残りその後時めき今に続く我が世を謳歌爛漫している輩たる二、三流の人士よりも、余ほど活躍され、現在のような狂騒曲を聞くことなかったのではと思うしだいです。
 

投稿者 蛾遊庵徒然草 : 2006年03月28日 00:58

蛾遊庵さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

杉原千畝さんは非常に興味深い人です。

・外務省きってのロシア通
・ロシア語・英語・ドイツ語・フランス語に堪能
・ノンキャリアだがきわめて有能
・対ソ諜報活動に従事
・キリスト教徒(ロシア正教)

なんだか、ある外務省職員の方に似ていますね(笑)。

杉原千畝さんに関する本では以下もおすすめです。

『真相・杉原ビザ』渡辺勝正、大正出版(2000)
『杉原千畝と日本の外務省』杉原誠四郎、大正出版(1999)
『自由への逃走』中日新聞社会部編、東京新聞出版局(1995)

投稿者 喜八 : 2006年03月28日 10:43

私もテレビで見ました
杉原千畝さんの心の苦痛と悩みそして決断
いかがばかりであったかと心を打たれました

何年か後 ビザの発給を受けた方が来訪されたと言う
話も聞きましたが ・・

投稿者 わびすけ : 2006年03月28日 18:52

リトアニアといえば、愛・地球博でパビリオンを出展していたのですが(手軽にビールが飲めましたので、何度も行きました…冷汗)こちらでもリトアニア在住の日本人が活躍されていたのを覚えていますが、当時から活躍されていた日本人がいて、今に至っているのですね…

ちなみにウチの妹はハンガリー在住で、1年チョット前に遊びに行った帰りにアムステルダムの「アンネの家」を見てきましたが、このような悲劇が二度と起こらないためには何をすべきなのか、一人ひとりが考えていかなければいけないのかもしれませんね…

投稿者 ぞう : 2006年03月28日 22:26

杉原千畝さんについては岐阜の出身地のご住職さんが
私に杉原千畝さんについてのことを教えてくださいました
ので、20年以上前から、そのことは存じておりましたが、
鈴木宗男さんがその名誉回復のために奔走していたという
ことは、この喜八さんのブログで初めて知りました。
記事内のリンク先の鈴木宗男さんの紹介(百科事典)でも
そのことにはふれていませんが、関連人物のところに
わずかに 杉原千畝 とだけ書いてありますね。

投稿者 マーヒー : 2006年03月29日 02:29

喜八さん、こんにちは。
杉原さんの軌跡を青少年向けに舞台化した作品を初めて観たのが、
ちょうどスピルバーグの『シンドラーのリスト』の公開時と重なったと記憶しています。
当時、まだ小学生だった子供たちにはやや難しい内容ではありましたが、
彼らの心には、強い印象として残ったようでした。

シンドラーと杉原さんは、どちらも偉業を成した人なのですが、
外交官という立場で、国に背く形で人道的立場から、厳然とビザを発給し続け、外交官を追われた杉原さんに一層の肩入れをしてしまい、
『シンドラーのリスト』、その当時から今まで未見です。
でも、やっぱり観ておきたい、と思いつつ、実現してません…

投稿者 悠雅 : 2006年03月29日 11:54

わびすけさん、こんにちは~。

> 何年か後 ビザの発給を受けた方が来訪されたと言う
> 話も聞きましたが ・・

杉原千畝によって命を救われたユダヤ人たちは、第2次世界大戦後、命の恩人の「センポ・スギハラ」を探し始めたそうです。
当然、日本の外務省にも問い合わせましたが「該当者なし」の返答があるのみ。
杉原千畝がすでに退職していたのは事実ですが、OBなのですから連絡先くらい分かっていたと思うのですけれどね・・・。
この点だけでなく、外務省は杉原千畝さんに関して非常に冷淡なようです(現在も)。

投稿者 喜八 : 2006年03月29日 12:56

ぞうさん、こんにちは! (^_^)/
ご訪問ありがとうございます。

> このような悲劇が二度と起こらないためには何をすべきなのか、一人ひとりが考えていかなければいけないのかもしれませんね…

「なにはともあれ、戦争だけはやめてくれ」と常々思っています。
政治家に関しても「多少のワイロくらいとってもいいから、戦争に断固反対する人がいい」という姿勢でいます。
ちょっと極端かもしれませんが(笑)。

投稿者 喜八 : 2006年03月29日 12:57

マーヒーさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

私が杉原千畝さんのことを知ったのは、ごく最近です。
よくは覚えていませんが、ここ数年以内のことでしょう。
「20年以上前から」知っていたというのはすごいですね。

> 記事内のリンク先の鈴木宗男さんの紹介(百科事典)でも
> そのことにはふれていませんが、関連人物のところに
> わずかに 杉原千畝 とだけ書いてありますね。

鈴木宗男さんという人は自己宣伝が下手なのですね。
また、話もあまりうまくありません。
長いこと永田町でサバイバルしてきたのに、不思議な人です。

投稿者 喜八 : 2006年03月29日 12:58

悠雅さん、こんにちは~。
ご訪問ありがとうございます。

近年、杉原千畝さんのことは小学校の教科書・副読本・指定図書などで取り上げられているので、若い人たちのあいだではよく知られているようですね。
逆にわれわれ大人に知識が欠けているのかもしれません。
つい最近までの私自身がそうでした。

> 外交官という立場で、国に背く形で人道的立場から、厳然とビザを発給し続け、外交官を追われた杉原さん

じつは「杉原はユダヤ人たちから大金を受け取っていた」という説もあります。
どうも外務省周辺からでたウワサのようです。
この件に関して、イスラエルまで行って生存者に確認した人もいます(『真相・杉原ビザ』渡辺勝正、大正出版(2000))。
「大金を受け取っていた」というのは根拠薄弱な説だと私は思います。

投稿者 喜八 : 2006年03月29日 12:58

たまにはゾンビの話題から離れたいと思います。杉原千畝については本やテレビなんかで色々と語り継がれているのでその偉大さはやはり崇高かつ日本および世界の誇りなのは云うまでもないでしょう。ただ、杉原さんを日本のシンドラーと呼ぶのはいささか遺憾に思います。確かにシンドラーも杉原さんと共にユダヤ人を大勢救った偉大な英雄なのは確かなんですが、しかし、シンドラーよりも先にユダヤ人を救ったのは杉原さんでシンドラーは杉原がカナウスでの行動から2年遅れての行動なのでその間にユダヤ人が多く虐殺されているので本来ならシンドラーが第2の杉原千畝と呼ばれるはずだと思います。まぁ、こんな暇人の自分がどうこう言う資格はないですが。

投稿者 バブ : 2006年04月02日 20:48

バブさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

> ただ、杉原さんを日本のシンドラーと呼ぶのはいささか遺憾に思います。

なるほど!
そうですね!
私はこの点をあまり考えていませんでした。(^_^;)

> たまにはゾンビの話題から離れたいと思います。

また、ゾンビの話題に戻ってきてください(笑)。
そのうちサヴィーニ版の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の記事もアップする予定です。
もしよかったら『ランド・オブ・ザ・デッド』にもコメントください(まだ、ひとつもついていないので!)。


投稿者 喜八 : 2006年04月03日 04:55