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2012年02月03日

活動家(アクティビスト)について考えてみた

ストレッチ猫さん
(※路上でくつろぐ猫さん。記事本文とは関係ありません)


「よし! 自分はロー・インパクト・アクティビスト(low-impact activist)を目指そう!」
ということを先日ふと思いつきました。
念のためお断りしておきますと「ロー・インパクト・アクティビスト」はわたし(喜八)の造語です。
意味するところは「自然と社会とヒトと自分自身にやさしい活動家」。
最重要ポイントは「自分自身にやさしい」です。

と言ってみたものの。
「自分は到底アクティビスト(活動家)にはなれないだろうなあ」と思いますし、そもそも「活動家にはそんなになりたくないかも?」という気もします。
「活動家」という言葉にアレルギーはない、と思います。
また「社会に活動家は必要だ。もっともっと増えるといい」と(湯浅誠さんの影響を受けて)考えておりますが…。

この辺は「活動家たらんと志向するよりは、当事者であることを重視しよう」という感覚がわたしにあるのかもしれません。
2010年08月28日の夜、《自分は徹底的に『当事者運動』でいく。他人のために「正しい」ことをしようとは思わない》という気づきがありました。
これはTwitterに【メモ】しておきましたので、気づきの瞬間がいつであったか分かります。

そもそも論でいえば「全ての人は何らかの当事者」なわけですね。
たとえば原発(核)問題だと地球上全ての人が当事者です。
あるいは戦争や差別のような大きな問題でも全ての人が当事者。
なので敢えて「当事者性」を喧伝する必要はないのかもしれません。
ともあれ、自らの当事者性を意識しつつ重視しつつ、ゆるゆると──けっしてバリバリとではなく──やっていきたいと思っています。

「自分は活動家ではない」。
まあ、よく考えたら、わたしは実際たいした「活動」もしていないのですから、こんなことを声を大にして言う必要もないわけです(汗)。
ただし、人からは「バリバリの活動家」と見られるような方たちの中にも「自分は活動家ではない」と感じられている人も少なくないようなのです。
たとえば、おともだちの大木晴子さん。
以前、大木晴子さんのことを弊ブログで何気なく「平和活動家」と書いたところ、「わたし(大木)は活動家ではありません。平和を願う、ひとりの市民です」と、ビシッとご指摘をいただいたことがありました。
それで、わたしは素直ですから、ただちに文章を訂正しました。
大木晴子さんとわたしの関係性には、この「ビシッ」がときどきあります。

また、沖縄でジュゴンの生息環境調査チーム・ザン(ザンとは沖縄でジュゴンのこと)を立ち上げ自然環境問題に取り組まれている鈴木雅子さんも「絶滅させられそうなジュゴンの『生きたい!』と言う声が心に響いてくるから…『当事者性』を共有しているだけ、代弁しているだけ」だそうです。
鈴木さんの思いは沖縄の言葉でいうと「チム グルサ(はらわたがきりきり痛んで、ほっておけない気持ち)」でしょうか。
沖縄で今くっきりと可視化されているのは、鈴木さんのような命(いのち)を大事にする人たちと、命を軽んじる人たち(環境アセスを捻じ曲げて米軍基地建設を強行する)の対立なのですね。
もちろん、わたし(喜八=中村順)は鈴木雅子さんたち「命を大事にする人たち」の側に立ちたいと思います。

さらに「NPO法人もやい」や「反貧困ネットワーク」で貧困問題に、さらに精神医療にまつわる偏見とも取り組まれてきたUさん(仮名)も、以前おともだちから「活動家」と呼ばれた際「うぅ~ん違う。何かちがう…」と感じ、その後もずっと違和感を持ってこられたそうです。
大木晴子さん・鈴木雅子さん・Uさんの「自分は活動家ではない(ような気がする)」感覚は大変に興味深いものがあります。

ところで、話が逸れるようですが、ひとつ気づいたことがあります。
大木晴子さん・鈴木雅子さん・Uさんの3人は全員が「身寄りのない猫を保護する」人たちなのです。
この点は、わたしから見ると、とっても大きなポイントです。
明確に言いますと「うーん、立派な方たち!」と感じるのです(ヨイショでは全然ありません)。

さて、ここで自他共に「活動家」と認める(?)稲葉剛さん(「NPO法人もやい」代表理事)のご意見を伺いましょう。

稲葉剛:「活動家」という呼称のイメージは未だに悪いのですね。私は、すべての人は「当事者」であるがゆえに、「活動家」になりうる、と考えています。

ちなみにわたし(喜八=中村順)は「稲葉さんは、当事者性が高く、当事者としての意識をもつ活動家ではないだろうか?」と以前から思っています。
この点を稲葉さん本人にぶつけてみたところ、異論は帰ってきませんでしたから、「稲葉剛さん=当事者性が高く、当事者としての意識をもつ活動家」説は有力であろうと思います。

ところで、わたしは2008年7月に「もやい」主催の貧困問題入門セミナーに参加したことがあります。
そのときの講師が稲葉剛さんでした。
当初わたしは「貧困に苦しむ人たちのため、ボランティアをしよう」と思っていたのです。
でも実際には「ボランティア・支援者コース」を行くことはありませんでした。
「もやい」やそのほかの団体(労働組合や自助グループなど)を通じて、さまざまな生きにくさ・貧困の当事者と知り合い知己を得るうちに、自分自身の当事者性に気づいていったのです。
そもそもわたし自身がれっきとした当事者であった!
なんて当然なことを改めて気づくのも、我ながらボンクラだと思いますが…。
その後も現在に至るまで、なんとなく気の合う人、話してみたくなる人は当事者という立ち居地で活動されている(あるいは休んでいる)人たちが多いのです。

稲葉剛さん発言に戻ります。
すべての人は「当事者」であるがゆえに、「活動家」になりうる》。
同意します。
けれども、しかし…《「活動家」になりうる》にしても、活動家にならなくてもいいわけですね。
と、コレは「揚げ足取り」ではありません、けっして(笑)。
すべての人は「当事者」である。
その中で「活動家」になりたい人はなる。
「活動家」になりたくない人は、ならなくても全然かまわない。
いたって良識的かつリベラルな意見です。
わたしも賛成します。

ただし、この場合「それではなぜ、大木晴子さん・鈴木雅子さん・Uさんは『活動家』でありたくない、或いは『活動家』ではないと感じるのか?」という「謎」は残ります。
稲葉剛さんも同じように思われたのか「その違和感が何なのかが気になります。そこにヒントがあるのではないか? 今度お話しましょう」と仰っていました。
なので、この件に関して近日中にミーティングが行なわれるかもしれません。
いまのところ「根回し中」ですが、実現しますかどうか? は見通し不明です。
というわけで、はなはだ「尻切れトンボ」ではありますが、当エントリはこの辺で終えて、後はリアルに「続く」とします…。


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(※上の猫画像は「ImageChef イメージクリエーター」で製作しました)

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投稿者 kihachin : 2012年02月03日 12:00

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