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2012年09月06日

稲葉剛さん「『名前のない死』の意味するもの」

『連続授業 命と絆は守れるか? 震災・貧困・自殺からDVまで』
連続授業 命と絆は守れるか?』三省堂(2012)

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稲葉剛さん(いなば つよし/「NPO法人もやい」代表)が上智大学で行なった社会人講座をベースにした「生を肯定できる社会をめざして 貧困問題の現場から」(『連続授業 命と絆は守れるか?』三省堂、2012、77-101頁)を興味深く拝読しました。

中でもわたし(中村)は「名前のない死の意味するもの」(84頁~)と「『活動家のジレンマ』を生きる」(93頁~)の2点に注目しました。

ちなみに「生を肯定できる社会をめざして 貧困問題の現場から」に関しては、稲葉さん本人から「これまでに書かなかったことを書いた」とお聞きしています。
たしかに、ここでは稲葉さんの「実存」にかかわる問題が、従来よりさらに突っ込んで、語られていると思います。

というわけで当エントリでは、稲葉剛さんの「生を肯定できる社会をめざして 貧困問題の現場から」をとっかかりに、いろいろ好き勝手なことを書かせていただこうと思います(いわゆる「書評」ではないでしょう…)。
もしかしたら、稲葉さんが「えっ! それはぜんぜん違うよ!」と思われるような記述もあるかもしれませんが、その辺はご海容いただければ幸いです。


さて、まずは稲葉剛さんの「名前のない死の意味するもの」について、あれこれ考えてみたいと思います(※「『活動家のジレンマ』を生きる」に関しては後日別エントリで)。

つねづねわたし(中村)は「稲葉さんという人には、独特の死生観があるようだ」と感じてきました。
08月08日「いのちをつなぐ生活保護は恥じゃない!!」デモの帰り道、地下鉄車両内で友人の黒坂愛衣さん・中村優子さんとお喋りした際、稲葉剛さんの話題もでました(稲葉さんはデモに「トラメガ管理係・メディア対応係」として参加されていたのでした)。
わたしは次のようなことを言ったと思います。

稲葉剛さんには、独特の死生観があるようです。それは稲葉さんが1994年以降ずっと路上生活者・生活困窮者支援にかかわり続け、多くの人たちの死を見てきたためもあるでしょう。また、お母さんが1945年広島で「入市被爆(原爆投下直後に被爆地に入り残留放射能を浴びること)」しており、稲葉さんは「被爆二世」であるということも関係していると思います。わたし(中村)から見る稲葉剛さんは「日々の生活の中で、死を身近に感じつつ、生きている人」です。けれども「死」を志向するのではなく、ベクトルはあくまで「生」に向かっている。そういう人のように思えます。

これまでわたしは稲葉さんから《日本は「路上で人が死ぬ」ような社会》であることを何度もお聞きしてきました。
1993年ごろから、東京・新宿西口地下通路を中心に通称「ダンボール村」が自然発生。
ここには、寝泊りするところを持たない「ホームレス」状態の人たちが、雨露や寒さから自分の身を守るためダンボールの「家」をつくり、身を寄せ合って暮らしていました。
東京都はこのダンボール村を、1994年02月と1996年01月の2度にわたり、暴力をもって強制的に排除しました。
稲葉剛さんは、東京都による野宿者排除の酷さを目の当たりにして、愕然としたそうです。
体調が悪いらしく震えながら毛布に包まって路上に寝ている人から、都職員がその毛布を剥ぎ取り、毛布は「ごみ」として廃棄される。
後には明らかに病気と思われる人が、毛布を失い身を守るもののない状態で、冷え切った地面に放置される。
このようにして行政が率先して野宿者排除を行ない、そのために大勢の人たちが人権を侵害され、さらには「死」に追い込まれる人もいる。
そして、ここにはわたしたちが払った「税金」が使われている。
このような「人が殺されている現場」には中立的な立場というものはない》というのが、稲葉剛さんの立ち位置です。

以下は「生を肯定できる社会をめざして 貧困問題の現場から」(『連続授業 命と絆は守れるか?』三省堂(2012)の引用です(84頁)。

「日本は世界有数の豊かな社会だと言われているけれど、路上で人が死ぬような社会だったのだ」ということを肌で知り、そのことを目撃してしまった以上、もはや見て見ぬふりはできなくなりました。私は「路上で人が亡くなるような社会を変えたい」と思うようになり、それ以来、18年間、自分にできることを続けています。


予備的な解説が長くなりましたが、ここから「名前のない死の意味するもの」について書かせていただきます。

路上生活者(野宿者)支援を続けるうち、稲葉剛さんは多くの人たちの死に遭遇します。
その中で、もっともやりきれないのが「名前のない死」です。
野宿をしている人の中には本名(戸籍上の名前)ではなく「通称名」をつかっているケースも多く、さらに免許証など自分の名前を証明する書類を持たない人も少なくありません。
このような人たちが、病気や怪我などで病院に運ばれた場合…。
病院では「新宿太郎」「新宿167男(新宿からこの病院に運ばれた167番目の身元不明の男性の意味?)」といった仮の「名前」がつけられます。
稲葉剛さんはこういった現実を知り、《いったいこの世で何が起こっているのだろうか》《何か途方もなく恐ろしいことが、この社会で起きている》と戦慄したそうです。

90年代半ばから「名前のない死」問題についてずっと考えてきた稲葉さんはヒントとなるいくつかの言葉に巡りあいます。
たとえば、ユダヤ人のホロコーストをモチーフにした作品を制作し続けているフランス人アーティストのクリスチャン・ボルタンスキーの言葉「人は二度死ぬといわれている。一度目は実際に死ぬときであり、二度目は写真が発見され、それが誰であるか知る人が一人もいない時だ」。
けれども、野宿者・生活困窮者の中には「この世にまだ身体は生きているのに、誰も自分とつながっていない」、ボルタンスキーのいう「第二の生」の死が「第一の生」の死に先行している状態におかれてしまう人もいます。
生きている人間にとって、これほど悲しくて、これほど残酷なことはありません。
さらに稲葉さんは、宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』、ハンセン病国立療養所「多磨全生園」入所者・森元美代治さんの言葉、「NPO法人もやい」の活動を通じて知り合った人たちの証言などを援用して、「名前のない死」問題を考察していきます。
たとえ、路上生活を送ることになったとしても、「自分が自分の名前で生きる」ことを誰もが肯定できる社会、身体としての「第一の生」も、記憶としての「第二の生」も含めて、人の「生」全体を肯定できる社会に変えたい。
これが「活動家」稲葉剛さんの願いです。

以上かいつまんで解説した稲葉さんの考察について、わたし(中村)がここで全て解説するわけにはいきません(それは版元・三省堂への「営業妨害」的行為なので…)。
名前のない死」問題にご興味のある方は、ぜひ稲葉剛さんの「生を肯定できる社会をめざして 貧困問題の現場から」(『連続授業 命と絆は守れるか?』三省堂(2012)をお読みください。


当エントリの最後に稲葉剛さんの「死」に対する感性がよく表れている発言を雑誌「くらしと教育をつなぐ We」2010年4/5月号11頁)から引用します。

広島の平和公園歩いていても、新宿の地下の広場歩いていても思うんですけど、自分の歩いている下に死体が埋まっているという感覚がすごく強い。広島って街は全体がそうですし、新宿も今西口の物産展をやっているところが、ダンボール村があって火事で四人の方が亡くなったところですが、そこを通るたびに思います。

先に述べましたように、わたし(中村)は「稲葉剛さんという人には、独特の死生観がある」と感じてきました。
そんな稲葉さんは「日々の生活の中で、死を身近に感じつつ、生きている人」、ただし「死」を志向するのではなく、ベクトルはあくまで「生」に向かう人、「生」を全肯定する人だと思います。
名前のない死」問題@「生を肯定できる社会をめざして 貧困問題の現場から」(『連続授業 命と絆は守れるか?』を読み、その思いを新たにしました。

(※稲葉剛さん「『活動家のジレンマ』を生きる」に続く)

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稲葉剛さん
稲葉剛さん(NPO法人もやい代表・埼玉大学非常勤講師)


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投稿者 kihachin : 2012年09月06日 12:00

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