【お勧めの本】深尾葉子『魂の脱植民地化とは何か』青灯社(2012) 更新!

« 【緊急告知】「首相官邸前!沖縄の米兵性暴力を許さない緊急抗議アクション」(東京・永田町、10-17) | メイン | 《伝える 表現する わたしの 思い》メッセージ・クロス »


2012年10月18日

「マスゴミ(ますごみ)」という言葉は使わない


厚労省前「STOP! 生活保護基準引き下げ」アクション


マスゴミ(ますごみ)」という言葉は、できるだけ使わないようにしています。
ご存知の方も多いとは思いますが、念のために解説しておきますと、これは「マスコミ=マスメディア」に対する悪罵(あくば)です。
「お前らは、ごみだ!」という。
ただし、わたし(中村順)は「マスゴミ(ますごみ)」という言葉を使いません。
それはなぜか?

以下は弊ブログ2006年12月12日付け記事『マスコミは「ごみ」か?』からの一部引用です。

「マスゴミ」という言葉は使いたくないなと私が思うのは、この言葉を使用することで失うものが多すぎるからです。メディアにかかわる多くの人たちを一律に「ごみ」扱いにするなら、苦しい状況の下で奮戦苦闘する「本物のジャーナリスト」たちをも不当に断罪してしまうことになる。それは戦略的に拙《まず》いだろうという計算が働くのです。
現在の権力迎合的な流れの中で、それに抗《あらが》っているジャーナリストは少ないのかもしれない。でも確実に存在しています。彼ら彼女ら「本物のジャーナリスト」と我々一般ピープルが連帯すること。これこそが権力者のもっとも恐れる事態ではないでしょうか。「敵」の嫌がることは徹底的に行なうべし。この兵法の基本にのっとって今後も「ゲリラ戦」を展開していきたいと考えています。「敵」が呆れ返るほど、執拗にしたたかに。

6年近く前に書いた拙文ですが、こうして改めて読み直してみると、わたしの言っていることはあまり変わらない。
「ブレ」がないとも言えるし、進歩がないとも言えるかもしれません(笑)。
ともあれ、上の引用文における主張は現在も「そのままおなじ」と言ってもよいでしょう。


今朝(2012年10月18日)『毎日新聞』朝刊の或る記事を読んで、「やっぱり《マスゴミ(ますごみ)》という言葉を使わないでいて、よかった!」と思いました。
次の記事です。

生活保護:厚労省の見直し案、支援団体が批判

 厚生労働相の諮問機関、社会保障審議会の特別部会は17日、先月末に公表された生活保護制度の見直しを柱とする厚労省の「生活支援戦略」素案について本格的に議論を始めた。保護の申請に訪れた人を自治体が体よく追い返す「水際作戦」を巡り、受給者らの支援団体代表は「厚労省案が助長する」と指摘したのに対し、自治体代表は真っ向から反論した。同部会は年内に最終案をまとめる意向だが、意見の集約は難航しそうだ。
 厚労省案のうち、やり玉に挙がったのは、働く意欲のない人について「3回目の申請から就労意欲を厳格に確認する」案や、扶養を断る親族に説明責任を課す案など。支援団体側は「ケースワーカーの恣意(しい)的判断の余地が大きくなる」と受け止め、水際作戦が広がりかねないとみている。
 保護費抑制を目指す自治体の一部では水際作戦が横行しているとされる。07年には北九州市で52歳の男性が保護を受けられず、日記に「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死した。08年のリーマン・ショック以降は厚労省が速やかな保護決定を求める通知を出したものの、支援団体への相談は後を絶たない。今年1月には札幌市で40歳代の姉妹が孤立死しているのが見つかった。市の窓口を3回訪れても保護を受けられず、「水際作戦だ」との批判も出ている。
 17日の部会では、3回目から審査を厳しくする案に対し、NPO法人「ほっとプラス」の代表理事、藤田孝典氏が「何をもって就労の意思がないと判断するか」と疑問を示し、親族の扶養義務を強化する案についても申請をためらう困窮者が増えると強調した。
 これに対し、お膝元で孤立死が見つかった上田文雄・指定都市市長会副会長(札幌市長)は「疑念がわかない運用を明示していく努力をしなければならない」とやや歯切れが悪かったものの、自治体側の厚労省案への評価は高く、岡崎誠也・全国市長会相談役(高知市長)は「恣意的に水際で排除することはしていない」と反論した。
 最後まで意見は対立し、部会長の宮本太郎・北海道大大学院教授は「自治体の真摯(しんし)な取り組みを支援するところにポイントがある」と議論を引き取ろうとした。しかし、藤田氏は「水際作戦は厳然としてある」と引かなかった。【遠藤拓】

(※全文は「毎日jp」でお読みください)

この記事を書いた遠藤拓(えんどう ひろし)記者とは、しばらく前に生活保護利用者主催の集いでたまたま隣り合わせ、少しだけお話させていただいたことがあります。
「いまどき珍しいジャーナリスト魂をもった方だ」という印象がありました。
「毎日新聞」はれっきとしたマスメディア(マスコミ)ですが、上の記事はけっして「ごみ」ではありませんし、遠藤記者も「ごみ」などではありません。


わたし(中村)は人付き合いが少なく、ふだん出歩くことも少ないのですが…。
たまたまご縁があって、マスメディアの記者さんたちとお話することもあります。
最近はそういった人たちの中に「ジャーナリスト魂」を見出すことが増えてきたように思います。
また、その手の記者さんは肩肘張ったバリバリタイプ…であることは少なくて、一見「のんびり」したリラックスタイプの方が多いようです。
上述の遠藤拓記者に加えて、「中日新聞」の稲田雅文記者、小川慎一記者、元「日本テレビ」ディレクターで法政大学社会学部教授の水島宏明さんも「熱いジャーナリスト魂」を持つ、肩肘の力が抜けた人たちでした。
剣客気分になって言うならば、「むむ、できる」という感じです。
もちろん、そのほかにも「ジャーナリスト魂」を持つメディア記者は大勢存在するでしょう。
こういった人たちを「ごみ」呼ばわりすることはわたしにはできない。
やっぱり「マスゴミ(ますごみ)」という言葉は使わないのです。


スポンサードリンク


関連ページ


Amazon : 稲葉剛


投稿者 kihachin : 2012年10月18日 12:00

« 【緊急告知】「首相官邸前!沖縄の米兵性暴力を許さない緊急抗議アクション」(東京・永田町、10-17) | メイン | 《伝える 表現する わたしの 思い》メッセージ・クロス »



トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kihachin.net/klog/mt-tb.cgi/4737