
« 【お知らせ】深尾葉子さん講演会「日本のタガメ女と、カエル男」(京都キャンパスプラザ、2014年12月13日) | メイン | 【本日】「なんでも総合相談会」(東京・四谷、2014年11月25日) »
2014年11月24日
新聞配達少年だったころ
■わたし(中村順)が初めて「仕事」をして、おカネを稼いだ職種は「新聞配達」です。
高校1年生のとき、10月から翌年1月にかけてのアルバイトでした。
【スポンサードリンク】
■いまにして思えば、いきなり新聞配達とはハードな選択でしたね。
16歳のわたしには、適当なアルバイトを見つけるだけの世間知もなかったんです。
通っていた高校のすぐ近くに「朝日新聞」の大きな販売店がありました。
事前に電話連絡もせず、直接行って「アルバイトはできますか?
」と申し出る。
ひよわな少年(※当時のわたしは体重が40kg台)を前にして、新聞販売店の人は危ぶんでいるようでしたが…。
数日後「採用」の電話がありました。
新聞配達をした動機は「家計を助けるため
」というような殊勝なものではありません。
あくまで自分の「趣味」「道楽」のためです。
「ロックバンドがしたい!
」という強い欲求にとらわれ、エレキギターが欲しくなり。
でも、親に買ってもらうという選択肢はアタマに浮かばず。
とにかくアルバイトで稼ごう、と。
このへんは若干「殊勝」かな? と思います(笑)。
配達を開始すると、毎朝4時に起床。
そそくさとご飯を食べて、自転車で販売店まで行き、すでに組んである新聞のセットを受けとり、配達する。
本来は、配達する順番に組む「セット」は自分で行なわなければならないのですが…。
販売店主の中年男性が「高校生にそこまでやってもらわなくてもいいから
」とやってくれたのでした。
それだけでなく、この店主さんは親切ないい人でした。
改めてしみじみと、そう思います。
新聞配達でいちばんキツイのは「雨」でした。
それも運の悪いことに、わたしが仕事に入ったその10月は雨天がとても多かった!
いまだにしっかり覚えていますが、月のうち20日以上も雨降りだったのです。
新聞は濡らしてしまったら「商品」とは言えなくなります。
濡らさずに、自転車で運搬して、各家庭に配る。
この作業はやった者だけにしか分からない困難があります。
早朝4時に起きて、雨が降っていると、大袈裟でなく「泣きたく」なりました。
雨の10月が過ぎ、秋も深まり、冬に入り「寒さ」も厳しくなっていきました。
12月になると、家を出るとき軍手を2枚重ねしても、指先が痛くなるほど、冷えます。
また、当時のわたしはガリガリに痩せた少年だったので、耐寒性は乏しかったんですね。
空が青く晴れ渡った朝ほど、冷え込みが厳しい。
これが「放射冷却」現象であることは、後に知りました。
当初は10月・11月・12月の3ヵ月間限定のアルバイトの予定でした。
が、新聞配達店主(いい人)に「正月は配達員にとっていちばん大変なときだから
」と懇請され、正月期間が終わってから、辞めることに。
この正月作業がまたキツかった!
ふだんの数倍にもなる量の新聞(および広告)。
重いし量があるので、到底いっぺんに運ぶことはできません。
何度も販売店に戻って、新聞セットを補充しながらの配達。
新聞配達アルバイト期間を全終了したわたし(繰り返しますが16歳の高校1年生)は心底ホッとしました。
それで、稼いだおカネはエレキベースギターとベースアンプとなりました。
東京・御茶の水「下倉楽器」で「フェルナンデス」というメーカーの「ジャズベース」新品を購入。
定価は6万5千円で、買値はたしか5万円くらいでした。
ベースアンプは近所の質屋で中古品(1万円)を入手。
じつは、この時点でわたしは楽器がまったく弾けなかったのですから、無茶というか「すっとんきょう」な話です。
高校2年生時、秋の文化祭で「第1回○○高校ロックフェスティバル
」なんてものを開催し、わたしが初代実行委員長となりました。
それまで「先輩」たちは「教師の目を盗んで、ロックを演奏しちゃおう
」という発想だったようです。
そこを「正面から堂々と企画書を提出する」戦術に出たら、あっさりと了承されたのでした。
ほかに引き受ける人がいなかったので、わたしが実行委員長に(率先してなったわけではありません)。
というお話しとなりますが、それについてはまた別の機会に…。
【Amazon : フェルナンデス】
投稿者 kihachin : 2014年11月24日 08:00
« 【お知らせ】深尾葉子さん講演会「日本のタガメ女と、カエル男」(京都キャンパスプラザ、2014年12月13日) | メイン | 【本日】「なんでも総合相談会」(東京・四谷、2014年11月25日) »