死刑廃止についてのリレーエントリーと、フランスのロベール・バダンテール法務大臣による死刑廃止時の演説

死刑廃止について、リレーエントリー「お嬢さま、玲奈と死刑廃止を考える」を次のブロガーの皆さんが書きました。

第1回 とりあえず(luxemburg)
第2回 お玉おばさんでもわかる政治のお話(お玉おばさん)
第3回 とむ丸の夢(とむ丸)
第4回 華氏451度(華氏451度)
第5回 doll and peace(ぷら)
第6回 薫のハムニダ日記(ハムニダ薫)
第7回 とりあえず(村野瀬玲奈)
第8回 喜八ログ(喜八)

その基調文献としてこの演説の全訳をここに公開し、皆さんの参考に供したいと思います。ご感想、ご意見、お問い合わせなどは村野瀬玲奈喜八宛てにメールしていただくか、上記の各エントリーのコメント欄までお願いします。



1981年9月17日、フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳

原文(フランス語)
訳: 村野瀬 玲奈
[...]
大統領(フランソワ・ミッテラン): では、法務大臣にご発言いただきましょう。

法務大臣(ロベール・バダンテール): 大統領閣下、議員のみなさん、共和国政府の名において、フランスにおける死刑廃止を国会にお願いすることは私の名誉であります。

Photo en noir et blanc de Robert Badinter
ロベール・バダンテール、
国璽尚書、
法務大臣、
1981年6月23日 -
1986年2月18日
出典 : フランス法務省
みなさんがそれぞれ、私たちの国の司法と私たちにとっての影響を推し量っていらっしゃる今この瞬間、私はまず、提出された法案の精神を理解してくれた法務委員会に感謝を申しあげます。特に、報告者であるレーモン・フォルニ(訳注:当時の与党である社会党の議員で法務委員会委員長。この審議では、バダンテール演説に先立って、委員会の名で報告を行なっている。死刑廃止法案提出にいたるまでの歴史に触れ、恩赦権を大統領に預け続けることはもうこれ以上できないと述べ、死刑廃止が国民投票にかけられる問題でない憲法上の理由を示し、世論は死刑存置に傾いているが議会の決定する死刑廃止の成否はいずれ世論が判断することになると説明し、代替刑の創設を急いではいけないと念を押した。また、生きる権利はすべての人に保証されると同時に犯罪犠牲者への配慮も怠らないことも強調した。最後に、議会に諮られる死刑廃止法案は勇気の法令ではなく、人間への信頼の法令であると述べた)に感謝いたします。なぜなら、氏は心と才能を兼ね備えた人であると同時に、過去何年にもわたって死刑廃止のために闘った人であるからです。私たちが経験している大きな政治的変化が生じる前に死刑廃止が決定されるべく、氏だけでなく特に以前の法務委員会で過去何年にもわたって力を尽くしたすべての人々に、その政治的所属を問わず、私は氏と同様に感謝を申し上げます。

この精神の共同体、政治党派のちがいを超えたこの思想の共同体は、今日みなさんの前に開かれたこの議論がまず良心の議論であるということを示しています。みなさん一人一人がするべき選択は個人としての社会的意思表明となるでしょう。

レーモン・フォルニが、ある長い歩みが今日終わると先ほど強調したのは正しかったのです。フランスが経験した最初の議会制議会でルイ=ミシェル・ル=ペルティエ=ドゥ=サン=ファルジョー(訳注:1760-1793。政治家。暗殺され、フランス革命の最初の殉難者と言われている)が死刑の廃止を求めてから2世紀近い年月が流れています。それは1791年のことでありました。

フランスの歩みをふりかえってまいります。

フランスは偉大です。その力によってだけでなく、その力以上に、その歴史で特別に重要な数々の瞬間にフランスを導いたさまざまな思想の輝き、さまざまな主義主張の輝き、寛容さの輝きゆえに偉大なのです。フランスは偉大です。なぜなら、拷問無しにはフランスの司法は非武装になってしまうだろう、拷問無しには善人は悪人に運命をにぎられてしまうだろう、と主張する用心深い人々が当時この国にいたにもかかわらず、拷問を廃止した欧州最初の国だったからです。

フランスは、今もなお人類の名誉を傷つけている奴隷制を廃止した、世界でも最初の数カ国に名を連ねています。

ここで声を低めて申しあげなければなりませんが、勇気あるこれほどの努力にもかかわらず、西ヨーロッパにおいて、フランスは死刑を廃止する最後の数カ国の一つ、実はほとんど最後の国ということになりそうです。フランスはこれほどしばしば、ヨーロッパの中心であり極であったのにもかかわらずです。

なぜこの遅れが生じたのでしょうか。これが私たちが自らに向ける最初の問いです。

国民の才能のせいではありません。なぜなら、しばしば、フランスから、この場所から、最も偉大な声、人類の意識の最も高く最も深いところに響く声、雄弁によって死刑廃止の主義主張を支えた声が上がったからです。フォルニさん、まさに正しくも、あなたはヴィクトル・ユゴー(訳注:1802-1885。作家。作品に「レ・ミゼラブル」、「ノートル・ダム・ドゥ・パリ」など。死刑反対をテーマにした作品もある)を思い出させてくれました。作家で死刑廃止を唱えた者として、私はそこにアルベール・カミュ(訳注:1913-1960。作家。作品に「異邦人」、「ペスト」など。人間存在の不条理をテーマにした作品で知られ、ノーベル文学賞を受賞)を加えます。また、この分野では、レオン・ガンベッタ(訳注:1838-1882。弁護士、政治家。急進的改革を主張した左派)、ジョルジュ・クレマンソー(訳注:1841-1929。ジャーナリスト、政治家。左派から保守派に転向し、帝国主義政策を推進した)、そして偉大なるジャン・ジョーレス(訳注:1859-1914。社会主義政治家で、雄弁家として有名。帝国主義戦争に反対し、熱狂的愛国者に暗殺された)のことを考えずにいられるでしょうか。みな死刑廃止のために立ち上がったのです。みな、死刑廃止の大義を支持したのです。では、なぜ沈黙がかくも頑固に続いたのでしょうか?なぜ、私たちは死刑を廃止しなかったのでしょうか?

これは国民の気質のせいとも思いません。フランス人は他の民族よりもいっそう抑圧的禁欲的であったわけでもなく、人間性が低かったわけでもありません。私は経験でそのことを知っております。フランスの判事や陪審員は他国の判事や陪審員と同じくらいに寛容でもあります。したがって、先の問いに対する答えはここにはありません。その答えはほかのところに求めなければなりません。

私の考えでは、政治的性格のある説明をそこに見い出すのであります。それはなぜでありましょうか。

私が先ほど申しあげたように、死刑廃止は、2世紀前から、あらゆる政治階級の男女を集めてきました。そして、それ以上に、国家のすべての層から支持者を集めてきたのです。

しかし、私たちの国の歴史を考えるなら、死刑廃止そのものは、フランス左派の主義主張の最も偉大なものの一つであり続けたことに気付きます。ご理解いただきたいのは、私が左派と言うとき、それは変革の力、進歩の力、時によっては革命の力、いずれにしても、歴史を進歩させる力という意味で申しあげているということです。(社会党議員席、多くの共産党議員席、一部のフランス民主連合(訳注:当時の主要な保守派野党の一つ。中道右派)の議員席から拍手。)ただ、真実を検証いたしましょう。では、真実をご覧ください。

私は1791年、最初の憲法制定議会、偉大なる憲法制定議会を思い出します。確かに、その時は死刑は廃止されませんでした。しかし、その当時のヨーロッパとしては驚異的な勇気のあるこの問いかけはなされたのです。その議会は死刑の適用範囲をほかのヨーロッパのどこよりも制限いたしました。

フランスが経験した最初の共和国国民議会、偉大なる国民公会は、和平が回復したらその時からフランスでは死刑を廃止する、と共和国年4年の霧月4日(訳注:フランス革命直後の革命暦で、西暦では1795年)に宣言いたしました。

アルベール・ブロシャール議員: ヴァンデー県(訳注:フランス西部、大西洋沿いの県。フランス革命のさなかに蜂起した農民と武装革命勢力との間で戦争状態となった)では高くついたのはわかってるだろ!

数人の社会党議員: 反革命王党員は黙りなさい!

法務大臣: 平和は回復しましたが、それと同時にナポレオン・ボナパルト(訳注:1769-1821。軍人、政治家。フランス革命後、フランスに帝政をしき、全ヨーロッパを侵略して席巻するも敗北した)が登場し、死刑が私たちの現行の刑法の中に規定されました。たしかに、今や死刑はもうこれ以上長くは続かないことになりますが、しかしとにかく、事態の進行をさらに追いましょう。

1830年の革命によって、情状酌量の拡大が1832年にもたらされました。死刑執行数はすぐに半減したのです。

1848年の革命は政治犯についての死刑廃止をもたらし、フランスは1939年の戦争までそれを見直すことはありませんでした。

Couverture du Journal officiel du 17 septembre 1981
官報 - 議会審議録 -
国民議会
第一会議
1981年9月17日
その次に死刑廃止の問題が人民の代表に新たに諮られるのは、1900年代にフランスの政界の中心に左派の多数派が形成されるのを待つことになります。まさにここでモーリス・バレス(訳注:1862-1923。ジャーナリスト、作家、政治家。フランスの国家主義者の代表的人物)とジャン・ジョーレスが討論で対決したのはその時です。雄弁の歴史が敬虔な心で記憶にとどめている生きた思い出の討論です。

私はみなさんの名においてジョーレスに敬意を表します。ジョーレスはあらゆる左派の演説家の中で、あらゆる社会主義者の中で、心の雄弁、理性の雄弁を最も高いところに、最も遠くまで、最も高貴な方法で導いた人です。誰よりも社会主義と自由と死刑廃止に奉仕した人です。(社会党の議員席と一部の共産党の議員席から拍手。)ジョーレスは...(フランス民主連合と共和国連合(訳注:当時の主要な保守派野党の一つ。シャルル・ドゴールの流れをくみ、フランス民主連合よりも右寄り)の議員席から野次。)

このような名前を聞いて平静でいられない方がまだみなさんの中にいらっしゃるのでしょうか?(社会党と共産党の議員席から拍手。)

ミシェル・ノワール議員: 扇動者め!

ジャン・ブロカール議員: 今あなたは法廷にではなく、議会にいるんだ!

大統領: 野党のみなさん、どうかご静粛に願います。
ジョーレスは、ほかの政治家たちと同じく、私たちの国の歴史に属しています。(同じ議員席から拍手。)

ロジェ・コレーズ議員: だけど、バダンテールはそうではない!

ロベール・ヴァグネル議員: あんたは法服の袖の足りない弁護士さんだね、法務大臣!(訳注:服の袖に言及しているが、フランス語を母国語とする人にもわかりにくい言い方。いずれにしても、単なる野次。)

大統領: 法務大臣殿、どうぞお続けください。

法務大臣: みなさん、私はバレスに敬意を表しましたが、死刑廃止についての私たちの考察から離れてしまいました。この話に固執する必要はありません。

しかし、ジョーレスの言葉は私たちの中から消えてはいないのは明らかですから、彼が述べた言葉をもう一度想起してください。「死刑は、人間が2000年以来考えてきた最も高邁なもの、人間が夢みている最も高貴なものの対極にある。死刑は、キリスト教精神とフランス革命の精神のどちらにとっても、その対極にある。」こうジョーレスは言ったのです。

1908年、今度はアリスティド・ブリアン(訳注:1862-1932。政治家、外交官。フランスにおける政教分離を推進。閣僚を歴任し、1932年まで仏独講和を追求。パリ不戦条約は彼の名を入れてケロッグ・ブリアン条約とも呼ばれる。1926年にノーベル平和賞受賞)が、議会に死刑廃止を提議しようと試みました。奇妙なことに、彼はそうするにあたって自分の雄弁術を使わなかったのです。彼は、実証主義学派のその直前の経験が明らかにしたばかりの非常に単純なデータを議会で再び発表して説得につとめました。

社会的、経済的に非常に安定していたその時代に次々に登場した共和国大統領たちがいろいろ異なる気質を持っていたために、10年という年月が2度繰り返されるうちに死刑の実施が特徴ある変遷をとげたことをブリアンは実際に示しました。大統領たちが死刑を執行させた1888年から1897年までの10年間と、エミール・ルーベ(訳注:1838-1929。政治家)、アルマン・ファリエール(訳注:1841-1931。政治家)という大統領たちが死刑執行を嫌い、その結果恩赦を一貫して与えていた1898年から1907年までの10年間です。そのデータは明瞭です。死刑を執行していた最初の10年間は3066件の殺人がありました。人々が穏やかになって殺人を嫌悪し、死刑が抑圧的慣行から姿を消した次の10年間には1068件の殺人がありました。ほぼ半減です。

これが、基本方針すら超えてブリアンが、犯罪抑止力がない死刑を廃止することを議会に提議した理由です。当時、死刑に犯罪抑止力がないことをフランスはこのようにデータによって測ったところでありましたから。

一部のジャーナリズムはすぐに、死刑廃止派を批判する非常に激しいキャンペーンを始めるにいたりました。議会の一部には、ブリアンが示した頂上に向かって進む勇気がありませんでした。かくして、1908年には私たちの法律と私たちの慣習に死刑が存続することになったのです。

その時以来、つまり75年以来ということになりますが、死刑廃止の提議をゆだねられた議会は一つもなかったのです。

私はブリアンよりも雄弁ではないと確信を持っており、それは皆さんにとってうれしいことであろうと存じます。しかし、皆さんにはそれよりもなお勇気があると私は信じております。そして、そのことが重要なのです。

アルベール・ブロシャール議員: それが勇気であれば、だけどな!

ロベール・オーモン議員: 今の野次は場違いだぞ!

ロジェ・コレーズ議員: その時期の間には、左派の政府だってあったじゃないか!

法務大臣: 時代は過ぎました。
私たちは自問してもよいでしょう。なぜ1936年(訳注:1930年代のヒトラーのファシズムの台頭に対抗して、フランス、スペイン、チリで統一政治運動が起き、1936年4月にフランスでは複数の左派政党が連立して社会党のレオン・ブルームを首班とした「人民戦線」と呼ばれる政権が樹立したことを指す。フランスでの有給休暇制度、労働者組合の地位の向上、週40時間労働制度はここに端を発する)には何もなかったのでしょうか?と。その理由は、左翼の時代が終わりつつあったからです。もう一つの理由は、もっと簡単です。戦争が人心にすでに重くのしかかっていたからです。ところで、戦争の時代は死刑廃止の問いを提起するのに適切なときではありません。戦争と死刑廃止は両立しないのは確かなのです。

解放。私としては、解放政府が死刑廃止の問題を提起しなかったのは、混乱していた時代、戦争犯罪、占領の恐ろしい試練のせいで人々がこの件に関して心の準備ができていなかったからだと確信をもって思います。兵器からの平和だけでなく、心の平和も戻ってくる必要があったのです。

この分析は植民地解放の時代についても言えることです。

死刑廃止という大きな問いは、こうした歴史的試練の後でしかみなさんの国会に実際に提議することがかないませんでした。

フォルニ議員がすでに先ほど説明しておりますので、私はこれ以上この問いに深入りはいたしません。しかし、直近の立法議会会期の間にいくつもの政府がみなさんの国会に死刑廃止を付託することを望まなかったのは何故でしょうか?法律委員会やみなさんのうちのこんなにも大勢の方々が勇気をもってこの議論を要求していたのにもかかわらず、です。何人かの政府のメンバー、それも少なくない人数は個人的に死刑廃止に賛成だと表明していました。しかし、死刑廃止を提案する責任を負っていた人々の発言を聞いて、私たちはそこでもまだ、急いで待っている状態だという気持ちでいたのです。

200年待ったのです!

待ちました。死刑、つまりギロチンが、摘み取る前に熟させなければならない果実であるかのように。

待つ、とはどういうことでしょうか。実際、その理由は世論への恐れだったと私たちはよく知っております。代議士のみなさん、そもそも、死刑廃止を可決するというのは世論を無視することになるから民主主義の規則を理解していないことになる、とおっしゃる方々もいるかもしれません。それは全く違うのです。

死刑廃止を議決する瞬間、みなさん以上に民主主義の基本の掟を尊重している人はいないのです。

ある偉大なイギリス人が使ったイメージにしたがうならば、私が参照するのは、議会は国のために闇から道を切り拓く灯台であるという発想だけではありません。普通選挙の意思であり、また、議員にとっては普通選挙の尊重であるという二つのことを意味する、民主主義の基本法則だけを私は参照しております。

さてそこで、この死刑廃止の問題ですが、(訳者補足:1981年の今回の大統領選挙と、それに続く総選挙で)これは2度にわたって世論の前で提起されたことを改めて強調いたします。

個人的感情、つまり死刑に対する嫌悪だけでなく、当選したら死刑廃止の要請を議会に付託するように政府に依頼するという意思をも、共和国大統領(フランソワ・ミッテラン)は非常に明快にすべての人に知らせておりました。この国はそれに対して肯定の意思表示をいたしました。

その後、総選挙がありました。選挙運動期間中、政策プログラムの中で...

アルベール・ブロシャール議員: 何の政策プログラムだ?

法務大臣: ...死刑廃止を公式に表明しなかった左派の政党はありません。この国は左派の多数派を選んだのです。つまり、この国は、死刑廃止を道徳的義務の冒頭に記載した立法プログラムを承認するということを、事情を心得たうえで知っていたのです。

議員のみなさんが死刑廃止法案を可決するというのは厳粛な協約です。選良を国に結びつける協約であり、選良としての第一の義務は選んでくれた人々との約束の尊重であるという協約であり、普通選挙の尊重とみなさんのものである民主主義の尊重というこの手続きなのであります。

死刑廃止はすべての人間の良心に問題を提起するという理由で、国民投票によってのみ死刑廃止は決められるべきだと言う人もいます。もしこの別の選択肢があるのであれば、この問いは考慮するに値するのかもしれません。しかし、みなさんも私同様よくご存知の通り、そしてまた、レーモン・フォルニも先ほどみなさんに指摘したように、この道は憲法上閉ざされております。

次のことは申しあげるまでもないのかもしれませんが、第五共和制の創立者であるシャルル・ドゴール(訳注:1890-1970。軍人、政治家。第二次世界大戦中、ドイツによるフランス占領に抵抗。第五共和政の初代フランス大統領を1958年から1969年までつとめた。彼の強硬な政治路線はドゴール主義と呼ばれ、フランス政界への影響は大きい)は、社会に関する問題、いわば道徳の問題が、国民投票の手続きで断じられることを望まなかったということを国民議会のみなさんに想起していただきたいのです。

また、これも代議士のみなさんに対して私から申しあげる必要はないと思いますが、憲法の用語でいえば代議士だけが持つ権限に属している中絶の刑法的制裁も死刑の刑法的制裁も、刑法の中に記載されております。

したがって、この問題を国民投票に頼ろうと主張すること、この問題に国民投票によってのみ対応しようとすること、それは憲法の精神と条文をわざと無視することになります。それはまた、世論を恐れるがゆえに、自分の立場を公にすることを、誤った資格によって拒むということを意味します。(社会党議員席と、一部の共産党議員席から拍手。)過ぎ去った年月の間、この世論を照らすために私たちは何もしませんでした。それどころか、死刑廃止国の経験を見ることを拒んできたのです。私たちの近所であり、姉妹であり、隣人である西洋の民主主義大国が死刑なしで経験することのできた本質的事実について問いを発することをしてきませんでした。欧州評議会、欧州議会、犯罪撲滅研究部会という枠内での国連自身も含めたあらゆる大きな国際機関によって行なわれてきた研究を私たちは無視してきました。私たちは、このような諸機関の不変の結論を無視してきたのです。刑法の中に死刑があるかないかということと、血みどろの凶悪犯罪の発生率グラフのカーブの間になんらかの相関関係があると立証されたことは決して、一度もありません。これらの明白な事実をはっきり示して強調するのではなく、私たちは逆に、不安を持ち続け、恐怖を刺激し、混乱を促進してきました。議論の余地がなく、痛みが伴い、それでいて直面しなければならないこの発展に当てる光を私たちはさえぎってきたのです。その発展は経済社会状況、暴力による小規模・中規模の非行の状況に結びついておりますが、いずれにしても死刑とは全く関係ありません。しかし、フランスでの凶悪犯罪発生率は、住民数を考慮に入れても、変化することは決してなく、むしろ滞る傾向があるという事実に、高貴な精神を持った人々ならば賛成することでしょう。そのことについて私たちは口を閉ざしてきたのです。一言で言えば、私たちは選挙のことを考えてきましたので、世論に関しては人々の不安をあおり、世論に対しては理性の弁護をしないできたということなのです。(社会党議員席と、一部の共産党議員席から拍手。)

実は、死刑の問題は、明晰な精神で分析しようとする者にとっては単純なことであります。犯罪抑止効果についても、抑圧手段についても、死刑の問いは提起されようがないのです。政治的選択についてか、あるいは道徳的選択についてしか、死刑の問いは提起されないのです。

すでに申しあげたことでありますが、以前の深い沈黙も見ましたから、すすんで繰り返し何度でも申しあげます。犯罪学者が行なってきたあらゆる研究が示してきた唯一の結果は、死刑と凶悪犯罪率の変遷の間には関係がないという事実が確認されたということです。この点について改めて次のような研究を指摘いたします。1962年の欧州評議会の研究。イギリスが死刑を廃止することを決定し、それ以降2度にわたって死刑復活を拒否する前に死刑廃止国すべてについて行なわれた慎重な研究であるイギリスの白書。同じ方法にしたがって行なわれたカナダの白書。国連によって作られた犯罪予防委員会によって行なわれた研究。その最後の文章はカラカスで昨年練り上げられておりました。最後に、欧州議会によって行なわれた研究。その研究には私たちの友人であるルディさんもかかわっております。そして、それらの研究はこの重要な採決にまでたどりついたのです。その採決を通して本国会では、本国会が代表するヨーロッパ、もちろん西ヨーロッパという意味ですが、そのヨーロッパの名において、欧州から死刑がなくなるようにとの圧倒的多数の意思表明がなされたわけです。すべての人が、私が申しあげた結論に賛成しております。

それに、誠実に問いを発しようとする者にとっては、なぜ死刑と凶悪犯罪の発生率の変遷の間に犯罪抑止的関係がないのか理解することはむずかしくありません。これだけひんぱんに探求に専念しているのに他のところではその根拠を見つけることができない犯罪抑止的関係のことにはあとで立ち戻ります。そのことについて単純に考えるなら、最も恐ろしい犯罪、大衆の気持ちを最も強くとらえるということが理解できる恐ろしい犯罪、すなわち凶悪犯罪と呼ばれる罪は、しばしば、理性の防御までなくしてしまう暴力と死の衝動に我を忘れた人間によって犯されるものだということなのです。この狂気の瞬間、この殺人の激情の瞬間に、死刑であれ終身刑であれ刑罰を想起することは、殺人者にはありえないことなのです。

これらの者たちを死刑にすることはないとはおっしゃらないでください。ここ数年の年報を見直すだけで、それと反対のことを納得できます。処刑されたオリヴィエは、司法解剖の結果、前頭部に異常があったということが明らかになっています。また、ジェローム・カラン(訳注:この演説の中で後述されるが、精神遅滞のあるアルコール中毒の殺人犯。バダンテール弁護士が弁護を担当。1977年に死刑に処せられた)しかり、ミシェル・ルソー(訳注:7歳の少女を撲殺した犯人で、アルコール中毒であった。バダンテール弁護士が弁護を担当し、死刑判決が回避された)しかり、ノルベール・ガルソー(訳注:1952年、27歳の時に若い女性を殺害し無期拘禁刑を宣告された。仮釈放後、再び若い女性を殺害した。インドシナ戦争への従軍の経験が彼に心理的影響を与えていたようだった。バダンテール弁護士が弁護を担当し、死刑判決が回避された)しかりであります。

一方、ほかの者たち、いわゆる冷静な犯罪者たち、つまり、いろいろなリスクを測る者たち、利益と刑罰について熟考する者たち、これらの者たちが死刑台にかけられる危険をおかす状況におちいることは決してありません。理性をそなえた強盗、犯罪から利益を追求する者、準備万端の犯罪者、売春斡旋業者、密輸人、マフィア、これらの者たちは決してそのような状況におちいることはないのです。絶対に!(社会党議員席と共産党議員席から拍手。)

死刑について現実に基づいて記載されている司法年報をひもとくなら、ここ30年の間、「大」ギャングの名前は出てきておりません。もしこの種の者たちを指してこの形容詞を使うことができるなら、ですが。つまり、「民衆の敵」の名は一人も出てきてはいないのです。

ジャン・ブロカール議員: では、ジャック・メスリーヌ(訳注:1970年代初頭、多くの脱走と武装襲撃で知られた「民衆の敵ナンバーワン」と言われた犯罪者)はどうなんだ?

ヤサント・サントーニ議員: ビュッフェはどうなんだ?ボンタンはどうなんだ?(訳注:1971年9月、フランス北東部シャンパーニュ地方オーブ県の小さな町クレルヴォーで、刑務所から二人の囚人が脱走を図り、人質をとって立てこもった。脱走を図ったのは、殺人で終身刑を受けて服役中だった元落下傘兵のクロード・ビュッフェと、強盗で20年の刑に服していたロジェ・ボンタンの二人。一昼夜の交渉の末、憲兵隊が突入したところ、人質は殺されており、この事件はフランス中を揺るがせた。オーブ県の県庁所在地のトロワで行われたこの事件の裁判でボンタンの弁護にあたったのがバダンテール弁護士であった。ビュッフェが人質殺害の張本人であり、ボンタンは殺害に手を下してはいなかったが、ボンタンはビュッフェの共犯とされて二人とも死刑を宣告され、破棄申し立ても大統領への恩赦請願も却下され、二人は1972年11月21日に処刑された。バダンテール弁護士はパリのサンテ刑務所の庭で二人の処刑を見た。)

法務大臣: 彼らは、司法年報がまとめていて、私が前に述べた、「ほかの人々」の分類に入ります。

実は、死刑の犯罪抑止価値の存在を信じる人たちは、人間の真実を知らないのです。犯罪の激情は、逆にほかの高貴な激情よりも死の恐怖によってもっと効果的に抑えることができるわけではないのです。

そして、もし死の恐怖が人間を押しとどめるのであれば、偉大な兵士も、偉大なスポーツ選手もいないことになってしまいます。私たちはそういう人たちを賛美しますが、彼らは死の前でためらうことはありません。ほかの激情に我を忘れたほかの人々も同じくためらうことはありません。死の恐怖こそが人間を極度の激情の中で抑制するのだという考えが作られてしまうのは、死刑があるからでしかないのです。その考えは正確ではありません。

ここで、処刑された二人の死刑囚の名前が出ましたので、ほかの誰よりもまず私から、死刑には犯罪抑止効果がないということを証明いたします。トロワ(訳注:下に出てくるパトリック・アンリによる児童誘拐殺人事件が起こり、その事件の裁判も行なわれたフランス東北部、シャンパーニュ地方オーブ県の県庁所在地。ビュッフェ・ボンタン事件の裁判があったところでもある)の裁判所の周りで、ビュッフェとボンタンが通るときに「ビュッフェを殺せ!ボンタンを殺せ!」と叫んでいた群衆の中に、一人の若い男性がいました。その名をパトリック・アンリといいます。(訳注:1976年2月、トロワで8歳のフィリップ・ベルトラン少年が身代金目当てで誘拐され、行方不明になった。ベルトラン家と付き合いのあった若い男性パトリック・アンリが容疑者として取調べを受けたが、容疑不十分で釈放になった後、「こんな誘拐事件の犯人は死刑にすることに賛成だ」と発言した。その数日後に、アンリが彼の借りていた部屋にいたところを警察に取り押さえられたとき、ベッドの下から死後約1週間のフィリップ少年の死体が発見された。殺人者アンリへのかつてない憎悪がたちまちフランス全土に広がり、世論は沸騰し、二人の内閣閣僚が三権分立を無視してアンリを死刑にせよとまで発言し、テレビ番組は声高に死刑を叫び、アンリの両親にマイクを突きつけて焦燥した父親に「死刑は息子の行いにふさわしい」などと無理やり言わせるほどだった。フランスにおける凶悪犯罪の代名詞のようになったこの事件で、トロワの近くの町の弁護士会会長ロベール・ボキヨンとともにパトリック・アンリの弁護を引き受けたのがバダンテール弁護士だった。バダンテールの弁護により、最終的に死刑判決は回避され、アンリは終身刑の判決を受けた。)信じていただきたいのですが、このことを知ったとき私は驚愕いたしました。その日、死刑の犯罪抑止価値が何を意味するのか私にはわかったのです!(社会党議員席と共産党議員席から拍手。)

ピエール・ミコー議員: そんなことはトロワに説明に行け!

法務大臣: みなさんはご自分の責任を意識する国会議員です。私たちの友人であり、偉大な西洋の民主主義諸国の運命を指導し、その責任を負う国会議員は、自由の国に属する道徳的価値への欲求が自分の中でどれほど強いものであろうとも、死刑には凶悪犯罪を抑止する価値があるとしてある程度の有用性があると考えたとして、責任あるこれらの議員たちは死刑廃止に賛成票を投じたであろうとみなさんはお思いになりますか?あるいは、死刑を復活させなかったであろうとお思いになりますか?そう考えることは国会議員への侮辱でありましょう。

アルベール・ブロシャール議員: ではカリフォルニアではどうなんだ?レーガン(訳注:ロナルド・レーガン。1911-2004。元俳優で、1966年にカリフォルニア州知事に選ばれ、アメリカ大統領を1981年1月20日から1989年1月20日までつとめた保守派政治家)はたぶんけったいな奴なんだろう!

法務大臣: レーガンさんにはその言葉をお伝えしましょう。きっとその形容を喜ぶと思いますよ!

いずれにしても、前任の共和国大統領(訳注:ヴァレリー・ジスカール=デスタン)が死刑への個人的な嫌悪を、通常プライベートながら前向きに告白していたのですから、1974年にフランスで死刑廃止法案が採決されていたならば死刑廃止が正確に何の意味を持っただろうかと具体的に問い直せばよいのです。

仮に死刑廃止が1974年に可決されていたとしたら、1981年に終わった7年間の大統領任期の間に、フランスの安心と安全のためにそれは何を意味したことでありましょうか。以下のことだけです。3人の死刑囚が私たちの教護施設に今いる333人に加わっただけだったでしょう。3人増えるだけ、なのです。

その3人とは誰でしょうか?思い出していただきます。クリスチャン・ラニュッチ(訳注:少女を誘拐し殺害したとされ、1976年に死刑に処せられたが、警察の捜査と予審に誤りが多いことが明らかになっていて、冤罪の疑いが強い)。彼の件についてはあまりにも多くの疑問が出されていますので、深入りしすぎないように気をつけましょう。正義に燃えた意識を持った人々にとっては、死刑を弾劾するにはこれらの疑問だけでよいと思います。ジェローム・カラン。精神遅滞があり、酔っ払いで、恐ろしい罪を犯しました。しかし、被害者の少女を殺す少し前に、村人みんなの前で彼女の手をとりました。このことは、彼を殺人に駆りたてた力が彼自身にはわからなかったということすら示しています。(共和国連合議員席とフランス民主連合議員席の一部からざわめき。)最後に、ハミダ・ジャンドゥビ(訳注:チュニジア人の労働者で、仕事上の怪我で片足を切断されていた。その事故までは勤勉で正直な人間と思われていたが、事故後サディストのポン引きになり、若い女性を拷問し殺した。1977年9月10日、フランスで最後に死刑執行された囚人)。彼は片足を失っていた人間で、彼の犯罪がどれだけ恐ろしいものであっても、そして、その恐怖という言葉は強すぎるとは言えませんが、彼は平衡障害のあらゆる症状を呈していました。そんな彼は義足をはずされてから死刑台に運ばれていったのです。

死後の憐みをかけるようにみなさんにお願いしようというのが私の考えではありません。ここはそういう場所でもそういう機会でもありません。しかし、私たちは、最初の人間についてはその無実について、第二の人間については精神遅滞であったことについて、第三の人間については片足を失った人間であったことについて、今もなお問い直していることをお考えいただきたいだけなのです。

もしこの3人の人間がフランスの刑務所に入れられているとしたならば、フランス市民の安全は何らかの意味で危うくなっていると主張できるでしょうか?

アルベール・ブロシャール議員: 信じられない!ここは法廷ではない!

法務大臣: これが死刑の真実であり、死刑の正確な範囲なのです。単にそういうことなのです。(社会党議員席と共産党議員席から長い拍手。)

ジャン・ブロカール議員: 私は審議を放棄する。

大統領: それはあなたの権利です!

アルベール・ブロシャール議員: あなたは法務大臣であって、弁護士ではない!

法務大臣: そしてこの現実は...

ロジェ・コレーズ議員: あなただけにとっての現実だろう!

法務大臣: ...見逃されているように思えます。

みなさんご存知のことでありますが、この問いは犯罪抑止効果の問題あるいは犯罪抑圧の手段の問題として提起されているのではなくて、政治的問題として、特に、道徳的選択の問題として提起されているのです。

死刑に政治的意味があるということを確認するには、世界地図を見さえすればよいのです。欧州議会でお見せしたようには、本国会でそのような地図をお見せできないことを残念に思います。その地図では、死刑廃止国とそれ以外の国、つまり、自由の国とそれ以外の国の分布を見ることができます。

シャルル・ミオセック議員: レッテル貼りのごたまぜ扱いもいいところだ!

法務大臣: 事実ははっきりしているのです。西欧の民主主義国の圧倒的多数、特にヨーロッパにおいて、自由が体制の中に定着していて実践上も尊重されているすべての国では、死刑は廃止されております。

クロード・マルキュス議員: アメリカ合衆国では死刑は廃止されていない!

法務大臣: 私は、西洋のヨーロッパでと申しあげました。しかし、そこに合衆国を加えることは有意義なことです。書き写しはこれでほとんど完全です。自由の国では、共通の法は死刑廃止なのです。死刑こそが例外なのです。

ロジェ・コレーズ議員: 社会主義諸国では死刑は廃止されていないぞ。

法務大臣: そうは言わせませんよ。世界中のあらゆるところで、例外なく、人権への軽蔑と独裁制がはびこっているところではどこでも、血塗られた文字で死刑が法律の中に記されているのです。(社会党議員席から拍手。)

ロジェ・コレーズ議員: 共産党議員たちはそのことをしっかり記憶しただろう!

ジェラール・シャスゲ議員: 共産党議員団は法務大臣の発言を評価しました。

法務大臣: 最初の明白な事実はこれです。自由の国ではほとんどあらゆるところで、死刑廃止が規則になっております。独裁制が支配する国ではどこでも、死刑が実施されているのです。

世界のこの色分けは単純な偶然の一致によるものではなく、一つの相関関係を表しております。死刑の本当の政治的意味は、国家は市民の命を奪うところまで市民を意のままにする権利を持っているという考えに死刑は由来するということなのです。それゆえに死刑が全体主義政体の中には規定されているのです。

まさにその意味でも、司法の現実の中で、また、レーモン・フォルニが指摘していた現実の中にまで、死刑の本当の意味が改めて見えてまいります。司法の現実の中では、死刑とは何でしょうか。12人の男女の陪審員。2日間の審問。事件にまつわることがらの奥底まで触れることは不可能。そして、数十分、時には数分で罪悪性についての非常にむずかしい問題に断定的に判断をくだす。それ以上に、ほかの人の生死を決定するという恐ろしい権利もしくは義務。12人の人が、ある民主主義国で、次のようなことを言う権利があるというわけです。「こいつは生きていてよい、こいつは死ななければならない!」と。私ははっきり申します。この司法の構想は、自由の国のそれではありえません。まさに、そこに含まれる全体主義的な意味のゆえにそう言えるのです。

一方、恩赦権ですが、レーモン・フォルニが改めて言及したように、このことについて問いを発するのは適切なことです。王がこの地上で神を代表していたとき、そして王が神意を聞いていたとき、恩赦権には正当な根拠がありました。ある一つの文明の中、あるいは、体制に宗教的信念が浸透しているある一つの社会の中では、神の代表者は生死を決定する権利を持つことができたというのは容易に理解できます。しかし、共和国においては、つまり民主主義国においては、いかなる人間も、いかなる権力も、その長所がなんであろうとも、また、その意識がどうであろうとも、平時においては誰に対してもそのような権利を持つことはできないのです。

ジャン・ファララ議員: 殺人者に対しては話は別だ!

法務大臣: 今日、死刑について、テロリズムがもたらす重大な脅威から民主主義を守る最後のよりどころの一種、あるいは、極端な防衛手段の一つであるとみなす人々がいると私は知っておりますが、それこそが大きな問題だと思います。ギロチンは民主主義の名誉を汚すのではなくて、場合によっては民主主義を保護するものだとそういう人々は考えているのです。

この論は現実についての完全な無知からきています。実際、死の威嚇の前で決してたじろがない種類の犯罪があるとしたらそれは政治的犯罪であると歴史は教えています。そして、さらに具体的には、死の威嚇によっても後退させることのできない種類の男女がいるとしたら、それはまさにテロリストなのです。なぜかといえば、まず、テロリストは暴力的行為のさなかに恐怖に直面するからです。また、次に、心の底でテロリストは暴力と死に心をかき乱され、魅了されているからです。その魅了の心は与えるものであると同時に、受け取るものでもあります。私にとっては、テロリズムは民主主義に反する主要な犯罪の一つであり、もしこの国でテロリズムが蜂起するとすれば、それは鎮圧され、きわめて厳格に訴追されるでしょう。テロリズムを喚起するイデオロギーがなんであろうとも、テロリズムの合言葉、スペイン戦争のファシストたちの恐ろしい叫びは「ビバ・ラ・ムエルテ!」(死よ万歳!)というものなのです。したがって、死によってテロリズムを止められると信じるのは幻想です。

もっと詳しく述べましょう。もし、テロリズムの餌食になっている隣の民主主義諸国で、その国が死刑を復活させるのを拒んでいるとしたら、それはもちろん道徳的要求によるものですが、それと同時に政治的理由もあるのです。実際、ある種の人々、ことに若者の目からは、テロリストの処刑はそのテロリストを超えて、テロリストをその行為の犯罪的現実から分かつように見えるのです。実は、一つの主義主張に仕えて行動を起こし、たとえその主義主張がどんなに憎むべきものであるとしても自分の道を最後まで貫き通すところまで行ったであろう英雄の一種となるのです。そのときから、一人テロリストが処刑されるたびに陰の中で20名の迷える若者が蜂起する大きなリスクが生じます。これは、友邦民主主義国の政治家が正確に調べたことです。このように、死刑はテロリズムと戦うどころか、テロリズムを育てるのです。(社会党議員席と一部の共産党議員席から拍手。)

このように事実を考えると、ひとつの道徳的与件(訳注:既知の事実、思考の前提)を加えなければなりません。テロリストに対して死刑を用いることは、民主主義国にとっては、テロリストの価値観をわが物とすることになるのです。テロリストたちが犠牲者を誘拐した後、恐ろしい対応関係を犠牲者から強引に奪い取ったあとに、司法の品位を落とすパロディにしたがって犠牲者を処刑するとき、テロリストたちは忌まわしい罪を犯しているだけでなく、民主主義に最も陰険なわなを仕掛けていることになるのです。それは、この民主国を死刑に頼るように強制することによって、テロリスト自身の流血の顔をその民主国に与えることをテロリストたちに許してしまう、人殺しの暴力の罠なのです。それは、価値観の一種の逆転によって生じるのです。

この誘惑は絶対に退けなければなりませんが、しかし、テロリズムという民主国では容認できない究極の形の暴力に妥協してはなりません。

しかし、テロリズムの激情面のこの問題を調べつくした後で、明晰な精神で最後まで考えをすすめたいなら、死刑の維持か廃止かの選択は、結局、社会にとっても、また、私たちの一人一人にとっても、道徳的選択だということがわかります。

権威の論を用いることはいたしません。なぜなら、それは議会においては場違いになってしまうからであり、この議場の中ではあまりにも安易すぎるからです。しかし、ここ数年で、フランスのカトリック教会、改革教会協議会、ユダヤ教律法学者が死刑に反対して大きく声をあげていることを指摘しないわけにはまいりません。アムネスティ・インターナショナル、国際人権協会、人権連盟といった、自由と人権の擁護のために世界中で闘っている国際的な大きな団体すべてが、死刑廃止を実現するためにキャンペーンをおこなったことも強調しないではいられません。

アルベール・ブロシャール議員: 犠牲者の家族は除いてだ!(社会党議員席から長いざわめき。)

法務大臣: 宗教的、あるいは非宗教的なこれだけの良心ある人々や神のしもべや自由人たちのこの連携は、道徳的価値の危機が絶え間なく語られるある時代にあっては意義深いものです。

ピエール=シャルル・クリーク議員: それから、フランス人の33%(訳注:直前の世論調査で死刑に反対していたフランス人の割合)もそこに含まれることを忘れないでくれ!

法務大臣: 死刑を支持する方々の選択については、死刑廃止を願う人々も私もいつもその選択を尊重してまいりましたが、その逆は必ずしも真ではなかったと残念ながら申しあげなければなりません。ある深い確信、つまり自由人において私がいつも尊重している信条の表明にすぎなかったものに対して、死刑支持派の方々からしばしば憎悪が向けられます。罪人の死が正義の要求だというのが死刑支持派の方々の主張なのです。死刑支持派の方々にとっては、犯罪遂行者が自分の命を代償にする以外の償いをするにはあまりにも残虐すぎる犯罪があるということなのです。犠牲者の死と苦しみ、この恐ろしい不幸に対して、絶対的で必要な対応物としてもう一つの死ともう一つの苦しみを要求するということなのです。最近のある法務大臣が宣告するには、それがかなわないならば、犯罪が社会の中に引き起こした不安と激情は鎮められないということだそうです。これは、私の考えでは、贖罪の犠牲と呼ぶものだと思います。そして、死刑に賛成する方々は、有罪者の死がこだまのように犠牲者の死に応えないならば正義は成されないと言うのです。

はっきりと申しましょう。これは、数千年にわたって同等報復刑法が人間の司法に共通する必要な法律であり続けるだろうというだけの意味にすぎません。

犠牲者の不幸と苦しみについては、それを引き合いに出す人々よりもずっと、私は自分の人生の中でひんぱんに、その影響の広がりを確かめてまいりました。犯罪が人間の不幸の遭遇点であり地理的場所であるということを、私は誰よりも熟知しております。犠牲者自身の不幸と、それ以上に、犠牲者の親族や近親者の不幸があります。また、犯罪者の親族の不幸もあります。そして、たいへんに多くの場合、殺人者の不幸もあります。そうです。犯罪は不幸であります。そして、感情、理性、責任感ある男女には、まずその不幸と闘おうと望まない者はいないのです。

しかし、自分自身の心の奥深くで犠牲者の不幸と苦しみを感じ、それでいて暴力と犯罪がこの社会の中で退くようにあらゆる方法で闘うという、この気持ちとこの闘いは、有罪者を必ず死刑にすることを意味することはできないでしょう。犠牲者の親族や近親者が罪人の死を望むことは傷ついた人間の自然な反応であり、私はそれを理解いたしますし、それを考えもいたします。しかし、それは人間の自然な反応なのです。一方、司法のあらゆる歴史的進歩は、個人的報復を乗り越えることでありました。まず同等報復刑法を拒否するのでなければ、どうして個人的報復を乗り越えられるでありましょうか。

死刑にこだわる動機の奥底には、しばしば告白されないままの、排除への誘惑があるものだというのが真実です。多くの人にとって耐えられないように思われるのは、刑務所に入った犯罪者の生命よりも、犯罪者がいつの日か再び罪を犯すという恐れなのです。そして、この点に関しての唯一の保証は用心のために犯罪者を死刑に処することだと多くの人が考えているのです。

かくして、この考えでは、司法は復讐のためというよりも慎重さのために殺すのだということになります。したがって、贖罪の司法を超えて排除の司法があらわれ、その天秤(訳注:公正さ、司法の象徴)の後ろにギロチンがあらわれます。殺人者は死ななければならない、理由は単純で、殺人者を殺せば再犯はなくなる、というわけです。これは非常に単純で非常に正当なように聞こえます!

しかし、正義の名のもとに排除の司法を受け入れるか賞賛するのであれば、どういう方向に進むかをはっきりと知らなければなりません。死刑賛成派からの承認も得るためには、犯罪者を殺す司法は事情を承知して殺さなければならないことになります。私たちの司法は、名誉なことに、心神喪失者を殺すことはいたしません。しかし、司法には心神喪失者を確実に見分けるすべはありません。偶然に非常に左右され、非常に不確実な精神鑑定にそれをゆだねることになるのが司法の現実です。精神鑑定が殺人者に有利な判定を出せば殺人者は死刑を免除されます。その場合、いきどおる者がないようにしながら社会は犯罪者が示すリスクを受け入れることになります。殺人者に不利な判定を出せば殺人者は処刑されることになります。排除の司法を受け入れるならば、歴史のいかなる論理の中に私たちが位置するかを政治の責任者は正確に知る必要があるのです。

私は、犯罪者と同じく心神喪失者や政治的反対者や社会を「汚染する」性格を持っているようだと思われる人々を排除する社会のことを話しているのではありません。そうではなくて、民主主義のうちに営まれている国々の司法だけに話を限っております。

まさに排除の司法の中に埋もれ、隠れて、密かな人種差別がのぞいております。1972年にアメリカ合衆国最高裁が死刑廃止に傾いた理由は主に、黒人は人口の12%しかいないのに、死刑囚の60%は黒人であるということを確認したからです。司法人からみて、何とめまいのするような結果でしょうか。私も声を落としてみなさん全員の方に向き直り、申しあげなければなりません。フランスでさえも、外国人比率は8%なのにもかかわらず、1945年以降に出された36の確定死刑判決のうち、外国人は9名つまり25%を数えます。その中で5人が北アフリカのマグレブ人(訳注:マグレブ諸国とは、北アフリカ北西部のモロッコ、アルジェリア、チュニジアなどのアラブ圏の国々を指す。フランスがその地方を植民地化していたことから、その地域からの移民をフランスは受け入れている)ですが、フランスでのマグレブ人の人口比率は2%にすぎないのです。1965年以降執行された死刑囚9名のうち、外国人が4人いて、そのうち3人がマグレブ人です。マグレブ人の犯罪はほかの人々の犯罪よりも憎むべきものだったというのでしょうか?あるいは、その瞬間の犯罪者が密かに恐怖を広めていたという理由でより深刻に見えるということなのでしょうか?これは一つの問いかけです。そしてこれは一つの問いかけにすぎませんが、あまりにも差し迫った問いかけであり、あまりにも胸の痛む問いかけです。私たちをこれほどの残忍さで問い詰めるこの問いに終止符を打つことができるのは死刑廃止ただそれだけなのです。

結局、死刑廃止とは一つの根源的な選択であり、人間と司法についてのある一つの構想なのです。人を殺す司法を望む人々は、二重の信念に動かされています。一つは、完全に有罪の人間、つまり自分の行為に完全に責任のある人間が存在するという信念。もう一つは、こいつは生きてよい、こいつは死ななければならないと言いうるほどにその無過誤を確信した司法が存在する可能性があるという信念です。

私はこの歳になって、この二つの断言はどちらも等しく間違っていると思います。彼らの行為がどれだけ恐ろしくどれだけ憎むべきものであろうとも、完全な有罪性を持っていて永遠に完全な絶望の対象にならなければならない人間はこの地上にはおりません。司法がどれだけ慎重なものであっても、また、判断をくだす陪審員男女がどれだけ節度がありどれだけ不安にさいなまれていようとも、司法はずっと人間の行いでありますから、誤りの可能性をなくすことはできません。

そしてまた、社会全体つまり私たちの名のもとに死刑の評決が下されて、死刑が執行された後、死刑囚は無実であると判明することは起こりえることです。そういうことが起こる時、司法が究極の不正義を行なってしまうという理由で社会全体つまり私たち全員がまとめて有罪になるとき、私はただ司法の絶対的過誤についてだけ申しあげているのではありません。私はまた、同じ被告が最初は死刑判決を下されたが形式上の不備で有罪判決が破棄されて新たに裁かれ、事実認定は同じなのに二度目は死刑をまぬがれるという、下された評決の不確実性と矛盾についても語っております。まるで、司法において、一人の人間の命が裁判所書記のペン先の誤りの偶然にもてあそばれているかのようではありませんか。あるいは、これこれの罪人がほんの少しの罪で処刑されるのに、もっと犯罪性の高いほかの罪人が審問の激情と雰囲気と誰それの逆上を利用して命を救われるということもあるでしょう。

人間の命がかかっているときにこの言葉を口に出して感じる苦悩が何であろうとも、この種の司法的くじ引きは容認できません。フランスの最高司法官であるモーリス・エダロ氏(訳注:フランスの法曹家に最も尊敬されている法律家で、破棄院主席名誉裁判長)は司法に捧げた長いキャリア全体の期間、ほとんどの活動を検事として行なった人ですが、彼は、死刑の適用ぶりが偶然に左右されるのを見るにつれて死刑が耐えがたいものになったと言っています。何かに完全に責任を負うべき人間は存在せず、どんな司法も絶対的に無過誤にはなれないゆえに、死刑は道徳的に受け入れられないのです。私たちのうちで神を信じる人たちにとっては、私たちが死ぬ時期を選ぶ力は神だけにあるのです。すべての死刑廃止賛成者にとっては、人間の司法がこの死の権限を持つことを認めることはできません。なぜなら、死刑廃止を支持する人々は司法が過ちうるものだと知っているからです。

したがって、みなさんの良心にゆだねられている選択ははっきりしています。一つの選択肢は、人をあやめる司法を私たちの社会が拒んで、基本的な価値観の名のもとに、つまりすべての価値のうちで司法を偉大で尊敬できるものにした価値観の名のもとに、恐怖をもたらす者、つまり心神喪失者あるいは犯罪者、あるいはその両方の命を引き受けることを受け入れることです。つまり、それは死刑廃止という選択です。もう一つの選択肢は、何世紀もの経験にもかかわらず、この社会が犯罪者を抹殺することで犯罪をなくせると信じることです。つまり、それは死刑という選択です。

この排除の司法、つまりこの不安と死の司法が決められるとき、偶然の誤差が伴います。しかし、私たちはこの排除の司法を拒否します。私たちがこれを拒否するのは、それは私たちにとって反司法であるからであり、それは理性と人間性を圧倒する激情であり恐怖であるからです。

これで、この重要な法律の精神と着想の源という重要なことは申しあげ終わりました。レーモン・フォルニが先ほど、方向性を示す方針をそこから引き出してくれました。それは単純で明確です。

死刑廃止は道徳的選択ですから、完全にはっきりと態度を明らかにしなければいけません。したがって、いかなる制限もいかなる留保事項も付けずに死刑廃止を可決するよう政府はみなさんに求めます。おそらく、死刑廃止の範囲を制限し、いろいろな犯罪カテゴリーをそこから除くことをめざす修正案が提出されるでしょう。それらの修正案の着想は理解いたしますが、政府はみなさんにそれを否決するように求めます。

その第一の理由は、「忌まわしい犯罪以外について死刑を廃止する」という条文は、現実には死刑に賛成する宣言しか含まないからです。司法の現実では、忌まわしい犯罪以外では誰も死刑を受けません。したがって、それならばむしろ、文体の便宜を避けて死刑支持を表明するほうがよいのです。(社会党議員席から拍手。)

犠牲の内容、ことに犠牲者の特別な弱さあるいは犠牲者が受けるリスクの大きさにかんがみて死刑廃止を排除する提案についても、私たちは犠牲者に寛容の情を抱くものではありますが、政府はそれを否決することを求めます。

これらの排除案は一つの明白な事実を無視しています。すべての犠牲者、私ははっきりとすべての犠牲者と明言しますが、それは同じ同情を誘うのであり、同じ憐憫の情をよびおこすのです。たぶん、私たち各自には、子どもあるいは老人の死は、30歳の女性や責任を負った熟年男性の死よりも容易に感情をよびおこすでしょう。しかし、人間の現実の中では、死は苦痛を伴うことに変わりはなく、この点についてのいかなる区別も不正義を生むことでありましょう!

警察官あるいは刑務官については、その代表機関が、そのメンバーの命に危害を加える者に対しての死刑の維持を要求しています。彼らを突き動かす心配を政府は完全に理解しておりますが、これらの修正案も否決するようにお願いいたします。

警察勤務者と刑務所勤務者の安全は保証されなければなりません。彼らを確実に保護するためのあらゆる必要な措置をとらなければなりません。しかし、20世紀が終わろうとしているフランスでは、警察官と刑務所看守の安全を守る役割をギロチンにゆだねることはいたしません。彼らを襲うかもしれない犯罪への制裁に関しては、それがどんなに正当であろうとも、私たちの法律の中では、この刑罰はほかの犠牲者に対して犯された罪の犯人に与えられる刑罰よりも重くすることはできません。はっきり申しましょう。何らかの職業または団体の利益になる刑法的特権がフランスの司法に存在してはなりません。警察勤務者と刑務所勤務者はそのことを理解してくれると信じております。私たちは彼らの安全について注意深く取り組みますが、フランス共和国の中で他とちがう団体を決して作るわけにはいかないということを警察、刑務所勤務者のみなさんには理解していただきたいのです。

明瞭さという同じ意図で、この法案はいかなる代替刑に関する条項も含んでおりません。

その理由は、まず道徳的なものです。死刑は体刑であり、体刑を別の体刑で置きかえてはならないからです。

また、政治上の理由、法律上の明瞭さという理由もあります。普通、代替刑は安全期間を対象にします。つまり、受刑者が条件付釈放の措置またはなんらかの形の延期措置を受ける可能性がない、法律に記された猶予期間を対象にします。このような刑罰はすでに私たちの法律の中に存在しており、その継続期間には18年におよぶものもあります。

私がこの点について国民議会に、この安全措置を変更することを目指す議論を始めないようにお願いするのは、2年の猶予期間後に、つまり刑法の法律の導入プロセスからみて比較的短い猶予期間の後に、政府は国民議会に新しい刑法の法案を謹んで提出するからです。その新しい刑法法案は20世紀末、そして21世紀の地平線にあるフランス社会に適した刑法になることを私は望んでおります。この機会に、今日と明日のフランス社会のために刑罰体系のあるべき姿をみなさんが定義し、確立し、吟味するのがよいのではないでしょうか。それが、死刑廃止の原則の議論と代替刑についての議論、というよりもむしろ、死刑廃止の原則の議論と安全措置についての議論とを混ぜないようにお願いする理由です。なぜなら、この議論は時期が悪いと同時に無益でもあるからです。

なぜ時期が悪いのかといえば、調和のとれた刑罰体系を作るためには、全部まとめて考慮し定義しなければならないからです。その目的からして必然的に熱がはいることになる議論を利用してはいけないからです。そんな議論では、部分的な解決に達するだけで終わってしまうでしょう。

無益な議論と申しあげたのは、議員のみなさんが私たちの刑罰体系を定義する前に過ぎるであろう2年後か最大でも3年後に無期禁固労働刑を言い渡されることになる人々に、現存の安全措置が適用されることが明らかだからです。したがって、そのために受刑者の釈放の問題がどんな形ででも発生してはならないからです。立法者のみなさんは、新しい刑法の中に書かれた定義が彼らに適用されることになるということをよくご存知です。それは、より温和になった刑法がすぐにもたらす効果によってであるか、あるいは、もしその刑法がより厳格になるならば、条件付き釈放の制度がすべての終身刑受刑者にとって同じく適用されて私たちがそれらの区別をすることができなくなるゆえかのどちらかであります。したがって、今はこの議論を始めないでいただきたい。

明瞭さと単純さという同じ理由で、私たちは法案の中に戦時に関する条項を入れませんでした。命の軽視や死をもたらす暴力が共通の法になるとき、また、平時の本質的な価値のいくつかが祖国防衛の優越性をあらわすほかの価値に置きかえられるときには、そもそも紛争の間は死刑廃止の根拠が集合意識から消えてしまい、もちろん、その場合は死刑廃止が凍結されることになってしまうということを政府は知っております。

今幸いなことに平和である私たちのフランスでみなさんが死刑廃止をやっと決定するこの瞬間に、戦時の死刑の適用範囲があるとしたらどんな場合かと議論することは場違いだと政府には思われました。しかし、戦争を告げるきざしが何もないのは幸いなことであります。もし仮に試練の時が来るならば、戦時立法が求める多くの特別条項と同時にそれに必要な措置をとるのは政府と立法者の役目です。しかし、死刑を廃止する今この瞬間に戦時立法の様式を決めるのは意味がないでしょう。190年の議論の末にみなさんがやっと死刑廃止を表明し決定するこの瞬間においては筋違いでしょう。

私の論はこれで終わりです。

私がおこなった発言、私が申し立てた理性は、みなさんの心とみなさんの良心が私に対してだけではなくてみなさんに対してもすでに伝えていた事柄です。フランスの司法史におけるこの重要な瞬間に、私は政府の名においてそれらのことを想起していただきたかっただけであります。

私たちの法律においては、すべてがみなさんの意志とみなさんの良心にかかっていると私は知っています。みなさんの多くが、多数派与党内においてだけではなく、少数派野党内においても死刑廃止のために闘ったと私は知っています。議会がその唯一の発議によったならば、私たちの法律を死刑から容易に解放することができたことだろうと私は知っております。みなさんは、政府法案という形で死刑廃止をみなさんの採決にかけることを承諾してくださいました。それによって、政府と私自身をこの大きな(立法)措置に参加させてくださったのです。そのことについてみなさんに感謝させてください。

明日、みなさんのおかげで、フランスの司法はもはや人を殺める司法ではなくなるのです。明日、みなさんのおかげで、夜明け方のフランスの刑務所の黒い天蓋の下で人目をしのんでこっそり執行される、私たちの共通の恥である死刑が無くなるのです。明日、私たちの司法の血塗られたページがめくられるのです。

この瞬間、ほかのどんな瞬間にもまして、私は古来の意味において、最も高貴な意味において、つまり、「奉仕」という意味において、私の大臣職の責任を全うしたという気持ちです。明日はみなさんに死刑廃止を可決していただくようお願いします。フランス立法府のみなさん、ご清聴に心から感謝いたします。(社会党議員席と共産党議員席、一部の共和国連合議員席とフランス民主連合議員席から拍手。社会党議員と一部の共産党議員は立ち上がり、長く拍手。)

出典:フランス官報 国民議会審議録 1981年9月17日(木)、第一会議

翻訳:村野瀬玲奈 (2006-10-18)

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