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若いころは街角でときどき驚くような「美女」を見かけました。ときどきと言っても数年に1回程度です。最近はそういう経験がありません。これは自分が枯れてきたのか、それとも美女の実数が少なくなってきたのか、よく分かりません。
東京の神宮水泳場で、シンクロナイズド・スイミングで有名なKさんが小学生くらいの子供たちの指導をしているのを見たことがあります。彼女は底光りするような存在感をもった美女でした(けれども同じ人がTVに出演しているのを見ても、それほどとは思えないのが不思議です)。
「美女」と聞くと、女優やタレントを連想する人は少なくないでしょう。しかし「女優やタレントには本当の美人はいない」という意見もあります。
女優やタレントの「美」には誇張・あく・めりはりが不可欠です。食べ物でいえば「外食」に通じるものがあるのです。外食ではパンチを出すために「砂糖・塩・油」が過剰気味。商品性が重視され消費者の健康は二の次とされる場合も多い。
現代日本のとくにTVにおいて多く見られる「やせ過ぎ美女」というのも「誇張・あく・めりはり」の一種ではないかと考えています。やせていて手足が長く、ただし胸は大きい方がよい。
やせ過ぎの女性がもてはやされるようになったのはなぜでしょうか? 「アメリカ合州国から伝来した価値観ではないか?」というのが私(喜八)の仮説です。
一説にはアメリカでは成人のうち60%以上が肥満であるといわれます。その反作用として、やせ過ぎていることを美と感じる。つまり「やせ過ぎ美女」という現象は、肥満大国アメリカならではの倒錯した美意識が生み出した可能性が高いのです。
美女とは逆の評価についても考察してみます。俗にいう「ブス」です(いいわけのようですが、普段の私はこの言葉をまったくといっていいほど使用しません)。
「俺の彼女はブスだけど、性格がいいんだ」。かつての高校同級生のこんな発言をいまだに覚えています。強い反発を覚えました。好きな女の子のことを、わざわざ「ブス」なんていう必要がどこにあるのでしょうか。
同じような発言を、その後何度か耳にしてきました。発言者はそれぞれ別の男性です。わりに見栄えのいい男が多かったように思います。
自分の猫(犬)は世界一可愛いものです。たとえ世間の圧倒的多数から「へちゃむくれの汚い猫(犬)」と審判を下されてしまうような状況においても、なおかつ「この子は世界一可愛い」と反論できる人は多いはずです。
同じことを人間の恋人に対しては行ない難いのはなぜか。これは人間性にまつわる大いなる謎だと思っています。
時間や空間を超えた絶対的な美の基準というものは存在しない、と私は考えます。状況によって美の基準はゆらぐのです。ある女性がときには「美女」であり、ときにはその正反対ということは、ごく当たり前の「事実」です。
絶対が存在しない世界では自分自身の判断だけが頼りとなります。だとしたら世界一の美女は自分で決めてしまっても構わないのです。
自分の恋人が「世界一の美女」だと思っていても、世間様にはなんの影響もない。国家・民族・宗教・政治などについての狂信は困りものですが、「彼女は綺麗だ」という「狂信」は誰にも迷惑をかけません。
自分の惚れた女のことは、誰に遠慮することもなく「世界一の美女」と言ってしまう。誰はばかることなく堂々とそう主張する。これこそは人生において幸福になる秘訣ではないかと思っています。
もっとも「それはちょっと恥ずかしい」という人も多いでしょう。じつは私もそのひとりです(笑)。そんなときは当事者である彼女だけにそっと伝えればいいのです。
「君は世界一の美女だ」と。
(喜八 2003-10-17)
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