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死体を発見したことがある。
JR川崎駅前の地下街から階段を昇ってくると小雨が降り始めていた。その中で地面に寝転ぶ老人の姿があった。いわゆる「ホームレス」の人だった。「おじさん、雨で濡れるよ」と声を掛けたが反応がない。肩をゆすってみると既に硬くなっていた。
近くの公衆電話から警察に電話をかけた。
結局、事情聴収を受けることもなく電話だけで用は済んだ。
地方公務員の知人に聞いたところでは、路上生活者が死亡した場合、市町村の職員が担当することになる。大変な仕事であることは想像に難くない。
もうひとつ、東京都墨田区内の図書館での経験。
大人の利用者は図書閲覧席に座ることができないという意味の張り紙がある。係員にその理由を尋ねると「閲覧席は受験生のためのものとなっています」との回答があった。
これは明らかにホームレスの締め出しが目的だろう。墨田川公園などを中心にあたりには路上生活者が多い。彼らにとって昼間の図書館は居心地がよい場所だろう。
隅田川公園では下半身を丸出しにして寝転ぶ青年を見たことがある。体格のいい青年だったが、大便をもらしていた。
東京や大阪など都市部の人が抱く「ホームレス」の最大公約数的なイメージは、以下のようになるだろうか。
しかし、ホームレスにもいろいろな人がいる。彼らはかならずしも「ナマケモノ」ではない。働いて収入を得ている人も少なくないし、勤勉とさえいえる人もいる。そして、その仕事の内容は多岐にわたる。以下に私が見聞した例を挙げる。
河原に小屋掛けする、橋の下に棲む、などする人たちの中には、労働者型のホームレスが少なくない。
建築廃材などで骨組みし「養生シート(ブルーシート)」で屋根を葺くのが一般的だ。かなり立派な「豪邸」を見たこともある。小屋の仕上がり具合は、各人の性格や技術により大きな違いが生じる。
東北などから出稼ぎにきた人のなかにはドヤ(簡易宿泊所)代を浮かすために、アオカン(野宿)する人もいる。農家の出身で多角的な生活技術を身につけた人には自分で小屋をつくってしまうなど簡単だろう。
ホームレスではない一般の市民が河原に小屋を建てる例もよく聞く(もちろん不法行為だが)。鳥小屋、畑(これも不法占拠)のための小屋、釣り仲間のための小屋、昼寝用の小屋など。
定年退職した人が趣味で小屋を建てた例もある。毎日のように出勤(?)してきて1日をそこで過ごすのである。これは私もいつかやってみたい。
動物を飼う。
河原で小屋掛けをして暮らしている知人は10数匹の猫と鶏を何羽か飼っている。あるとき「犬は飼わないの?」と聞いてみたところ、犬だとエサ代が結構大変だとの返事が返ってきた。ちなみに、この人は自動車(ナンバーなし)、テレビ、ビデオ、石油ストーブ、自家発電機、ガスこんろ、風呂を所有している。
東京都と神奈川の境を流れる多摩川に掛かる瓦斯橋。その川崎側のたもとに小屋があったことを思い出す。そこには数匹の犬が飼われていた。飼い主はきっと勤勉な人だったに違いない。
一般市民から正業に就くことを勧められたり、アパートを借りる際の保証人になることを申し出られることもある。地方自治体の職員がやってくることもある。そして皆にこういわれる。「もうそろそろ、こういう生活は卒業してもいいんじゃないか?」
だが「社会復帰」は難しいことが多い。社会の規範に沿って生きることが困難である人が大部分である。精神障害を持った人も少なくない。
篠田節子さんの小説『カノン』(文藝春秋、1996)の中に次のような一節がある。「普通に生きていくこと自体が限りなく難しい人々が、世の中にはいるんです」
ホームレスの人たちを見るとこの言葉を思い出す。自分自身もなにかの条件が欠けていたら河原や路上で暮らすことになっていたかもしれないな、とも思う。
彼らと自分との差はそれほど大きなものではない。
「生きるのが不器用な人たち」、そうでなければ「(比喩ではなく字義そのままの意味で)病気の人たち」というのが私の「ホームレス」の定義だ。あえて付け加えれば「普通の人たち」でもある。
(喜八 2002-12-10)
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